ゴミの巻
<名前は、擬人化。物質ひとつひとつに対して、ヒトのように扱い、循環を目指していくべき>
ふと思う。これから捨てようと思うモノに、名前は付けない。ゴミには名前を付けず、ただゴミという存在になるだけ。そこから今日は、名前というモノについて考えてみたいと思う。なぜ・・・・・・・・・・・・・
なぜ付けない。なぜゴミに名前を付けてはいけないのか。今日のゴミと明日のゴミそれぞれに、名前を付けても良いハズ。でもそんな事は絶対にしない。・名前なんか付けたら、捨てにくくなるよね。罪悪感・・・・・・・・・・・
罪悪感が出る。名前を付けたモノを捨てるとなると、罪悪感が出てしまう。名前あるモノを、粗末に扱っただけで、罪悪感が出るのはなぜだろう。・名前を付けるか付けないかで、罪悪感も違ってくるのか。付き合い・・・・・・・・・・・・
付き合いを始める。名前を付けるモノとは、これからずっと付き合おうとする存在。これから捨ててしまうモノに名前を付ける事は、その点で混乱が起きるのかもしれない。・名前と付き合いは、密接に関係してるのかも。関係・・・・・・・・・・・・・・・・
関係を持つ。付き合いとは、自分の生きる中で何らかの関係を持つと言うコト。ゴミは関係を持たない存在。関係を持つべく名前を付けて、関係を持たないのでは、違和感も出る。・名前には、そう言う意味合いがあるのか。通じる・・・・・・・・・・・・・・・・・
ナニかが通じる。名前を持つ関係同士は、ナニかが通じている。そのナニかとはなんだろう。ボンヤリしているけど、確かに何かがある。それを探ってみる。・明らかにナニかがあるって感じるんだけど、いまいち掴めてない。固有名詞・・・・・・・・・・・・・
当然固有名詞。説明が遅れたけど、今まで出て来た名前というのは、固有名詞。というコトで考えると、名前を付けるというのは、擬人化でもあるように思う。・ヒトを捨てるとなると、確かに罪悪感も出てくる。逸脱・・・・・・・・・・・・
逸脱する。ヒトに対して行って良いコトには、範囲がある。名前を付けて擬人化していると、ヒトとして扱われる。捨てるというのは、ヒトに対して行って良いコトの範囲から、逸脱しているのかもしれない。・逸脱する事なら、罪悪感を感じても当然か。逆に・・・・・・・・・・・・・
逆に名前を付ける。であるならば、ゴミ化している物全てに、名前を付けて擬人化したらどうか。ゴミだと思うから、簡単に捨てられる。その後のコトは、知らん顔出来る。・ゴミ自体との関係を、変えてしまえ!!と言うコト。あるべき・・・・・・・・・・・
あるべき姿。名前を付けて擬人化したら、罪悪感が出てくる。その罪悪感を利用して、本来のあるべき姿を模索するべきではないのか。一緒くたにゴミとして扱うのではなく、物質としてあるべき姿に。ゴミもいろんな物質があるから、分別して対処していった方が良いんじゃないってコト。個々・・・・・・・・・・・・・・・
個々に名前を付ける。一緒くたのゴミという名前ではなく、個々に名前を付けていく。それによって、無責任な行動がとりにくくなる。それが本来のあるべき姿ではないのか。無責任じゃなく、責任取った方が良いねってコト。幸せ・・・・・・・・・・・・・・・・
幸せのカタチ。その物質自体が、どういう状況で居るのが幸せなのか。そんな事まで想いを馳せるべきではないか。最後の最後まで、どうあるべきかを考えるコトは、あって良いように思う。・ゴミを捨てるというのは、考えを途中で放棄している事なのかも。循環・・・・・・・・・・・・・・
循環させる。ゴミというのは、途中の段階で止まっている。物質のあるべきカタチは、循環させる事。もし循環させられないまでも、それに近い所まで、持っていく必要があるように思う。今はまだ途中。その途中の段階で、良しとしてしまっている。あえてゴミに名前を付ける事で、その先までしっかり責任を持てるようになるべきだと思う。それを今日の結論として締めましょう
名前は、擬人化。物質ひとつひとつに対して、ヒトのように扱い、循環を目指していくべき
そうか、名前を付けるのは擬人化なんだな。ヒトに付けるような名前を付ければ、いろんな物を大切に使えるようになるのかもしれない。ヒトはヒト、物は物っていうのを変えるコトは出来無いだろうけど、もう少し大事にしてもいいように思う。物も最後の最後まで、どうすれば良いのか考えても良い。途中で考えを止めちゃうのはラクだけど、それはしちゃいけないラクなのじゃないかな。はいそれじゃ明日!!
明日は、『種』というタイトルで、待つコトについて考えます。今日はまだ決まっていませんではありません。それを楽しみにしていたみなさん、すみません。それでは明日をお楽しみ〜〜〜〜!!