主体性について考えるの巻
<補足は、大転換。絶対的な存在ではなく、補助に転換する事で、個は主体性を育てていける>
授業って、みんな一斉に始めて、それで成立するイメージがある。その前から始めちゃうのは、なんとなくズルいって言うイメージ。その私の中の考えが、間違っていたのではないか。今日はそんな話。勘違い・・・・・・・・・
ずっと勘違い。一緒のスタートでこそ、公平で公正と思い込んでいた。それは勘違いだったのではないか。そこまで授業を絶対視しなくて、良かったのではないか。当然と思っていた事の、衝撃の転換。重要・・・・・・・・・
絶対視は重要。揺らがせてはならない、重要なコトだと思っていた。学校の授業を受けて、全てはスタートする。なので、その前にやるのはフライングかズルという考え。よ〜いドンは、守るべきモノじゃないのか。補足・・・・・・・・・・・・・・
補足でしかない。授業というのは、補足でしかない。先生も学校も補助でしかない。そちらの方が正しいように、思えてきた。決して絶対的でも、重要でもない。学校をそんなに仰々しく思わなくてイイって事か。象徴・・・・・・・・・・・・
授業は象徴。学校の授業という象徴的なモノが、ただの補足でしかないと位置づけた時、今までの考えが大いに崩れた。崩れた先に、何かを感じるコトが出来た。授業が補足って・・・・、絶対だと思っていたのはなんだったんだ。主体・・・・・・・・・・・・
生徒が主体。授業が補足で、学校や先生が補助だとすると、主体はなんだろう。そう思った時、主体は生徒自身ではないかと、パッと浮かんだ。生徒が主体なのは当たり前だから、それにはなんの疑いもない。学ぶ・・・・・・・・・・・
主体的に学ぶ。生徒自身が、主体的に学ぶ。そちらの方が圧倒的に、好ましいのではないか。授業が絶対的と思うコト自体が、好ましいその状態を阻害していたのではないか。自分の考えが、あるべきカタチを阻害してたパターン。どんどん・・・・・・・・・・・・・
どんどんやる。学校や先生や授業などほったらかして、自分でどんどんやる。その中の手助けとして、先生や学校を利用する。そちらの方が、スッキリする。利用すると思った方が、学校や先生の輪郭もハッキリするね。抜け・・・・・・・・・・・・・・
抜けがイイ。学校や先生が絶対的と思っていた時より、抜けがイイ。覆い被さるように、学校や先生が存在するのと比べ、とても役割がハッキリしている。補助という役目に置くコトで、進むべき道が先々まで抜けるってイメージ。進む・・・・・・・・・・・・・・
自分で進む。学校や先生が補助である以上、自分で進むしかない。この自分で進む感じは、自主的な学びのカタチで、理想的と言ってイイ。やらされる感じゃなくて、自分でやってる感だね。背負わせ・・・・・・・・・・・・
背負わせすぎ。学校や先生に背負わせすぎ。絶対な存在にし過ぎて、背負わせすぎていたように思う。それによって、教師の体罰問題のような、強硬で安易なやり方にも繋がってしまった。そう思えてならない。背負い込みすぎが、焦りを生んで安易な体罰という方法をとったって事。解放・・・・・・・・・・
絶対からの解放。学校も教師も、もっと言えば親も、公共機関も、全て補助でイイように思う。主体は個人、本人が持つ。責任から逃れると言うコトではなく、役割を補助にした方が、本人も自分で考え行動するようになる。自分が主体で、他はみんな補助って事か。自覚・・・・・・・・・・・・・・
自覚が生まれる。周りが補助という役割に落ち着く事で、本人もちゃんとしないと、という自覚が生まれる。その自覚は、人を大人にするのではないか。幼い行動を恥じるようになると思う。一個の人間としての、覚悟が生まれるって事だね。妨げ・・・・・・・・・・・・・・
妨げていた。割り切りが無く、中途半端に干渉していた事で、この成長を妨げていたように思う。明らかなやり過ぎと、求め過ぎがあったのではないか。干渉のし過ぎで、大人達が道塞いでたってワケか。独立・・・・・・・・・・
独立と協力。補助であるから、自分が主体として独立しなければイケナイ。補助であるから、協力するという姿勢はある。道は自分で進む。困れば周りがいつでも補助してくれる。これが社会の理想のカタチではないだろうか。これ以上の、カタチはないように思う。やり過ぎがあった、おせっかいが過ぎていたように思う。それを控えて、個が活き活きと活動出来る社会にするべきだと思う。それを今日の結論として締めましょう
補足は、大転換。絶対的な存在ではなく、補助に転換する事で、個は主体性を育てていける
そうか、学校や先生だけじゃなく、政府とか公共も補助という捉え方で良いんだな。これって、本当の意味で民主主義でしょう。あまりにも抱え込みすぎて、道を塞いでしまうより、補助という役割の範囲でサポートしますって方が、分かりやすいし邪魔じゃない。どうやら求めすぎて、逆に窮屈だったみたい。抱え込みすぎて、逆にやり過ぎていたみたい。補助という役割を明確にして、より生き易い世の中にしましょうねって事ですね。ハイそれじゃこんな所で、明後日です
明後日は『一本道』というタイトルで、迷うと言うコトについて考えます。お楽しみに!!