勝手に掘り下げワ〜〜〜〜ルド

むなしさ

行き着く先について考えるの巻

哲学・思想

<虚しさは、現実。手に入らないモノの方が、脳が勝手にイメージを膨らませられる。恋い焦がれている内が、イチバン>

みんなが欲しがるモノってあるけど、それを手に入れた時、どうなるんだろう。これが欲しい、あれも欲しい、あっちも欲しいってね。でも、それなりに手に入ってしまう時代だと思う、現代って。求める・・・・・・・・・・・

追い求める。もちろんどんなに追い求めても、手に入らないモノも存在する。そりゃそう、人間の脳は際限がない。すべてを、手にいられるハズはない。ま、限界はあるよね。実際・・・・・・・・・・・・

実際手に入れる。実際手に入れたら、とても虚しい。欲しいモノを手に入れると、案外虚しいモノ。遠くにあるから良かったのかもしれない。人のモノだとすごく欲しいけど、自分のモノになった途端に、って話はよく聴く。作用・・・・・・・・・・・・

どんな作用。自分のモノにすると、あまり価値を感じなくなるのは、何が作用しているのだろう。モノは同じ。所有者が違うだけ。そこが変わるとナニが違うのか。確かに、摩訶不思議な現象だね。支配・・・・・・・・・・

支配する。自分の手に入ると言うコトは、自分の支配になるというコト。他人のモノは自分の支配ではない。まだ手に入れていない時は、自分の支配ではない。自分の物か他人の物には、大きな壁があるね。勝手・・・・・・・・・

勝手に思い描ける。誰かのモノは、勝手に思い描ける。自分の支配下になると、思い描くというコトはする必要が無くなる。ここが大きな違い。感じている価値は、思い描く事に繋がっているのだろうか。膨らむ・・・・・・・・

どこまでも膨らむ。自分の手に入れていないモノは、どこまででも勝手に膨らませられる。脳の中で、いくらでも膨らませられる。一体どこまで膨らませてるんだ。手に入らないモノほど、どんどんどんどんどんどん。育つ・・・・・・・・・・・

育てている。膨らませて育てている。それは心苦しいが、喜びでもある。自分の中で育てているイメージは、他では代えられない喜び。手に入らないは、恋い焦がれるに近い気がする。ギャップ・・・・・・・・・・・・・・

現実とのギャップ。恋い焦がれたモノと、現実とのギャップ。膨らませて育てたモノと、現実とはギャップがある。その差が、価値を感じなくさせる要因でもある。現実の方が、ショボイんだね。失恋・・・・・・・・・・・・・

失恋する。手に入れるというのは、失恋するようなモノ。成就したのだからイイように思うけど、もう恋する事が出来ない。モノでも同じ。恋の終わりは、物悲しいワケね。脳・・・・・・・・・・・・・・・・

脳で楽しむ。人間が楽しいと感じる結構な部分は、脳でなのかもしれない。その脳がフル活動するのは、手に入らない時の方が、都合がいい。手に入ってしまうと、脳が活躍しなくても現物があるワケだから。恋をするのも脳で、それの方が気楽だし自由だし、良いのかもしれない。好き勝手やれるから、現実以上の喜びに出逢えている、というコトなんでしょうか。というのを、今日の結論として締めましょう

虚しさは、現実。手に入らないモノの方が、脳が勝手にイメージを膨らませられる。恋い焦がれている内が、イチバン

そうか、恋い焦がれるか。確かに手に入っちゃうと、つまんなくなっちゃうんだよね。自分の家にあるいろいろなモノも、自分の家に来た時から、タダの物体でしかない。邪魔にしたりしてね。なんでそうなってしまうんだろね。モノ自体を愛してやればいいのだろうけど、結局頭の中のイメージを愛してるだけってコトなんでしょうかね。そこら辺のギャップを埋められると、モノ自体も大切に出来るようになるのかもしれないな。ってコトで、明日です

明日は『聴く耳』というタイトルで、立場について考えます。お楽しみに!!

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