勝手に掘り下げワ〜〜〜〜ルド

つね

身につくモノの巻

哲学・思想


<常は、環境。満たされるルールの中で、生き残る為に必死に適応するのと、地により人生を賭けるのと。生き方は、いろいろある>

なんか身につけたい時、いつの間にか自然に身についちゃったっていうのが理想。人間というモノは、楽を追求する生き物。私もその範疇に、どっぷり浸かっているダメな人間というコト?でしょうかね。環境・・・・・・・・・・

環境で身につく。その環境に身を置いていれば、身につくモノがあるとすれば、それはなんだろう。今日探って行くのはそれ。何が身について、何が身につかないのか。環境由来と、本人の地が由来になるモノを、見極めたいってコト。違い・・・・・・・・・・・

違いはなんだろう。環境由来と、地由来のモノとの違いを、探っていくのだけれど。最初に取りかかるのは、環境で得られるモノの確認。そこに居りゃあ、身につくってヤツ。ルール・・・・・・・・・・・

ルールがある。環境というのは、その中がルールで満たされている空間の事。そのルールには従わなければならない。従うって違う言い方だと、適応するだね。生きる・・・・・・・・・・・・・

生きる為。適応するのは、生きる為に必要。その環境の中で生きていく為に、適応せざるをえない。傍から見れば、自然と身についているように思えるが、その中ではいたって本気。ありゃ、思ったより楽じゃなさそうじゃん。必死・・・・・・・・・・

とても必死。個人で環境のルールを変える事は出来ない。となれば、自分の状態関係無しに、合わせなければならない。苦痛以外の何もでもないと、想像出来る。楽じゃなくて、苦痛なのか。身につく・・・・・・・・・・

その分だけ身につく。適応出来た分だけ、身につく。ルールに矯正され、鍛えられてついた能力分が、身についたモノ。その分は、誰でも適応さえ出来れば、身につけられると言える。適応出来ればという条件付きか。地・・・・・・・・・・・

地の能力。地の能力の方はどうか。環境で身につくモノと、ナニが違うのか。地の能力は、とても自発的。環境とは違い、自分の方から身につけていく。被るのと、向かっていく違いだね。終わり・・・・・・・・・・・・・・

終わりはない。地の能力は、終わりがない。適応すれば終わりの環境由来とは違い、自発的なモノに終わりはない。どこまでも追い求めていくモノ。終わりを作らない能力かどうかで、地なのか環境かを選り分けられるかもしれない。その先・・・・・・・・・・・・・・

その先を求める。たとえ一つの終わりがあったとしても、地の能力の場合さらに先を求める。その先に行けても、さらに先を求める。地は永遠なのか。地の不思議、これはもっと探るしかない。尽きる・・・・・・・・・・

燃え尽きる。もしも終わりがあって、自発的な気持ちが燃え尽きたらどうなるのだろうか。終わってしまった場合、何を思うのか。その時を知りたい。終わった時に、起こるコトが分かれば、その正体も分かる。意味・・・・・・・・・

生きる意味。終わってしまうと生きる意味を失う。地の能力に関しては、終わってしまうとなんの為に生きているのかが、分からなくなる。人生に沿っている能力。人生賭けてるから、地。命・・・・・・・・・・・・

命のチカラ。地の能力というのは、命のチカラかもしれない。自分の生きるテーマとして、それを選び生まれてきた。実際にそうなのかは確かめようがないが、地が命に繋がっているのは間違いないように思う。命を燃やしてるなら、尽きるコトがないのも頷ける。他・・・・・・・・・・・

他を見つける。もし行き着く所まで行って、地の能力が必要無くなっても、他を見つければ生きられる。人生は多重構造になっている。一つが終点に辿りついても、隣には違う線路が延びている。切り換えて、次の人生歩めってコトか。見失う・・・・・・・・・・・

見失った場合。道を見失った場合どうするべきか。他の線路に切り換えろと言っても、それは簡単ではない。人生賭けていたモノを、そう簡単には路線変更出来ない。今までの生き方、変えるって確かにムズいね。環境・・・・・・・・・・・

違う環境。環境に身を置けば、そこで能力は身につく。適応せざるをえない所に身を置き、適応していけばいい。環境を変えてしまえば、満たされるルールもガラリと変わる。やってく内に見えてくるモノもあるってコトだね。幾層・・・・・・・・・・・

幾層もある。人生は幾層にも重なっていて、道も一つではない。生き方も一つではない。その人がどんな道を選んでも自由だし、どんな道を選んでも意味はある。自発的なモノと環境と、生き様は違っても間違いというのはないように思う。それを今日の結論として、締める事にします

常は、環境。満たされるルールの中で、生き残る為に必死に適応するのと、地により人生を賭けるのと。生き方は、いろいろある

そうか、環境はどっちかというと外側からのモノに対して、どうしていくか。で、地の能力は外側関係無く、自分の中の声通りに、行動していく。その時その時で、状況も違うだろうからどっちが正解でどっちが間違いというコトはない。それだけに、どっちにすべきか迷うのだけれど。大切なモノを決めて、その為に生きろって言うコトなんじゃないでしょうかね。大切なモノは、ヒトそれぞれ違いますから。そんなまとまり感無いまま、逃げるようにして明日です

明日は『記す』というタイトルで、継続するについて考えます。お楽しみに!!

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