欠落についての巻
<両雄は、能力と益。敵を増やす能力だけではなく、味方を増やす有益な存在と言うのも評価基準とするのが、健全>
世の中、殺伐としているって印象ある。生活の中では、さほどそうは感じないけど、世の中って括りだとそう感じるんだよね。テレビのニュースのせいかな。どうなんだろうね、実際は。能力・・・・・・・・・・・・
能力だけ。世の中で評価されるのは、能力だけ。この場合の世の中って言うのは、テレビとかの情報の世界と考えて貰えれば、イイと思う。凄いヒト並び立てるのが、情報のお仕事なのかな。実社会・・・・・・・・・・・・・
実社会では。実社会では少し違って、評価されるのは他人に益をもたらす人。自分に有益な存在は、単純にありがたいでしょ。だから、益をもたらす人は評価が高い。情報の世界と実際は、評価基準が違うってコトか。欠落・・・・・・・・・・・・・
欠落している。情報の世界では、益をもたらす人の評価が、完全に欠落している。能力と違って、評価がし難いモノだからだと推測出来る。欠落が、殺伐とした世の中を作っているのかな。蹴落とす・・・・・・・・・・・・
蹴落とす社会。能力だけの評価だと、水面下では蹴落とす社会が展開される。そりゃ殺伐とする。そんな側面だけだと思えば、苦しいだけ。情報が全てだと思っちゃうと、確かにキツい。幻想・・・・・・・・・・・・
情報は幻想。テレビは、幻想であり相当偏りのある世界。情報の世界だけを信じたら、殺伐としてしまう。実際の世界はもっと広いから、欠落した部分を補完しなくちゃ。情報を浴びる量は多いから、信じ込んじゃうよね。両雄・・・・・・・・・・
両雄が欲しい。能力と、有益とその両方が欲しい。大変欲張りだけど、人が高く評価するコトを考えれば、どちらも捨てがたい。両方求めるって、ハードル高くなるってコトなのか、だとしたらもっとキツくなる?効果・・・・・・・・
両方を求める効果。自分が他のヒトに、有益な何かをもたらすという方向性は、蹴落とすとは真逆。蹴落とすのは自分本意で、もたらすのは相手本意。精神的にも、違う効果が期待出来るでしょ。何をもたらせるか、自分にそんな事出来るのかなと不安になるね。変更・・・・・・・・・・・
路線変更。今までの路線が蹴落とす方向なら、不安になるのは当然。行くべき方向を、もたらすに路線変更すれば、自分がする自分への評価も違ってくる。気づかないけど、自分も自分を評価してる。相手・・・・・・・・
相手が喜んでいるか。新しく加わる評価基準として、相手が喜んでいるかがある。どんなに優れた能力でも、相手が喜ばなきゃ意味がない。能力だけだと、見落としてしまう要素。相手が喜んでいるかって、そんな根本的な基準も、見落としていたのかも。救われる・・・・・・・・・・・
救われるべき存在。欠落したこの情報社会では、救われるべき存在がある。それは自分。有益なモノをもたらして救われるのは、自分。そんなたくさんの自分で構成されるのが今の社会。そうかみんな救われたいのか。カラクリ・・・・・・・・
救われるカラクリ。なぜ他人に有益なモノをもたらすと、その人自体が救われるのか。そのカラクリはなんだろう。有益をもたらしたら、損をしてしまうんじゃないのか。モノあげたら無くなっちゃうから、単純に損でしょ。感謝される・・・・・・・・・・
感謝される存在になる。人にもたらすと、感謝される存在になり、それが意味する所は味方が増えると言うコト。味方が増える毎に、救われる。味方が増えるって、確かに安心出来るし、嬉しい。敵・・・・・・・・・・・・・
敵だらけ。世の中が敵だらけだと、殺伐とする。蹴落とし合いで、敵だらけだったらそりゃ殺伐とするでしょ。もっと味方増やさないと、不健康。情報の世界だけを信じ込みすぎるのも、不健康だね。殺伐とする原因は、敵の作り過ぎか、なるほど。今まで・・・・・・・・・
今までよくやってた。こんなに殺伐として、それがたまに事件になって、それでも何も変わらなくて。今までほんとよくやってたよ。能力ばかりじゃなく、相手に益をもたらすコトも必要でしょう。情報だけに踊らされるんじゃなく、もっと味方増やさないとね。大きいモノ欠落したまま、飛んでたんだな、この世界は。っていうのを今日の結論として、締めましょう
両雄は、能力と益。敵を増やす能力だけではなく、味方を増やす有益な存在と言うのも評価基準とするのが、健全
そうか、人に有益なモノをもたらすって言うのは、味方を増やしなさいってコトか。能力ばかり追っていて、敵ばかり増やしたんじゃ、そりゃ心にも体にも良くないよ。人に感謝されてこそ、味方は増えていくんだから、蹴落とすばかりじゃ安らげない。能力を磨くのも大切だけど、人に何をもたらせるかの基準も持とうねってコトでしょうね。はい、それじゃ明日
明日は『橋渡し』というタイトルで、違うモノの繋げ方について考えます。お楽しみに!!