他人側からするとの巻
<自由と不自由は、学習。どれだけチカラがあるかで、求められる生き方も変わる。生き方は不自由で当然>
生きてると、なんでこんなに不自由なんだろうなと思う。最初はもっと自由だったのではないか、そんな疑問が浮かんだので、今日も勝手に掘り下げてみる事にする。自由と不自由について。いつ頃から・・・・・・・・・・・
いつ頃から不自由になるのか。最初はもっと自由に、いろんな事に取り組めたように思う。それがいつからか、何かに囚われる事が多くなったような気がする。生まれつき、考えが不自由なワケ無いからね。自由・・・・・・・・・・・
自由過ぎる人。もしも生き方が自由なヒトが、周りにいたらどうだろう。自由すぎると誰かに言われたら、それは嫌がられてると思ってイイ。どうやら周りの人からは、自由な生き方って、歓迎されないみたい。不自由・・・・・・・・・・・
不自由な生き方。誰かに合わせたり、あまり主張しなかったり、とても不自由な生き方。ただ、そちらの方が人からは嫌われない。迷惑かけないなら、そりゃ嫌われないわな。成長・・・・・・・・・・・・・・
成長と共に。人は成長と共に、チカラを持つ。チカラを持った者が、自由に振る舞いすぎればそれは暴力になる。チカラが弱い者ならば、同じコトをしても大して害は出ない。同じコトしても、人によって影響力って違うんだね。制御・・・・・・・・・・・・・
制御能力。チカラある者は、制御能力を持たないとイケナイ。以前このブログでも書いたが、能力がある人間ほど、制御能力も必要になる。自分じゃ気づき難いけど、人に迷惑かけちゃイケナイからね。反応・・・・・・・・・・
人の反応。自分ではそんなつもりはないが、人が嫌な反応を見せる。その時に、やってはイケないコトを自分がしているコトに気づける。え?こんなんで、嫌なの?学習・・・・・・・・・・・・・・
学習する。人の反応を見て、学習をする。同じコトをしても、人によって違う。同じコトをしても、許されるヒトも居れば許されないヒトも居る。その反応を見て、学習する。あれ?俺だけなんで怒られる現象ってあるからね。どっち・・・・・・・・・・・
どっちがいいのか。チカラが無くて、自由に生きるか、チカラを持って不自由に生きるか。どちらも害を出さない生き方。もちろん選べるモノでも無いのだけど。う〜ん、選べるとしたらどっちだろ?コレは迷う。決める・・・・・・・・・・
周りが決める。石同士がぶつかり合って、角が無くなっていくように、徐々に丸くなっていく。尖ったままじゃ居られない。誰も傷つけないように、周りによって自分の生き方も決まっていく。影響し合いながら、周りも自分の生き方も決まっていくのか。自然・・・・・・・・・・・・
自然に不自由になる。人の関わり合いの中で、ほとんど自動的に、生き方は不自由になっていく。それはそれだけ影響力が出た証しでもある。全てのヒトが、同じ不自由さでもない。人によって違うし、それは影響力の違いでもある。学習して、人は自分の生き方を身につけていく。というのを今日の結論として、締めます
自由と不自由は、学習。どれだけチカラがあるかで、求められる生き方も変わる。生き方は不自由で当然
そうか、チカラがついてくると、自由に生きられないのか。たしかに、みんなが自由に振る舞ったら、大変なコトになるね。ほとんど北斗の拳の世界のように、荒廃するンじゃないかと思う。それは恐いからね。ある程度、不自由な生き方して、おとなしくしているのも良いんでしょう。同じコトしても人によって、許されたり許されなかったりというのは、そういう理由からなんだね。今日もスッキリした答えまで辿りつきましたよ。それじゃ明日
明日は『プライド』というタイトルで、生き方について考えます。お楽しみに!!