有るけど無いモノの巻!!
<固着は、認識。名前を付けてはじめて、脳が認識出来る。価値も創出して、世の中に認知される作業も、しなくちゃならない>
これってどう表現したら良いんだろ?あれだよほらっ、こういう感じでさ、その時の気持ちって言うか、状態っていうか・・・・・・。うまく言葉に出来ないコトがある。その事に対して、言葉自体が存在しない場合も多い。言葉化・・・・・・・・・・・・
言葉化されていない。まだ、概念だけのモノに、誰が言葉を付けるのか。言葉化を誰がするのか。誰かがしてるんでしょ言葉に、それって誰?言葉化出来ない段階では、みんなと共有出来ない。認識・・・・・・・・・・・
脳の認識。言葉化しなければ、脳が認識出来ない。概念を言葉にする。実はこれ、誰がやっても良い。ただ、日本人はこの言葉化、つまりはネーミングをとても苦手にしているのではないか。手本・・・・・・・・・・・・
手本があった。日本は古くは中国を、近代では欧米を手本にしてきた。手本にしてきたという事は、そのまま使わせて貰っていたワケで、自分でネーミングする能力に欠けていたのかもしれない。身近・・・・・・・・・・・・
身近なモノ。身近なモノは、ネーミング出来る。生活する上で必要な、身近なモノならネーミング出来る。ただ、概念となるとそれに合うネーミングを付けるという作業自体、やったコトがない、というのが現実。タネ・・・・・・・・・・
タネすらない。日本人は、概念に名前を付けるコト自体、した事がないように思う。中国や欧米をマネていた。それがタネになっていたので、日本人はそのタネを作る事をしなかったように思う。固着・・・・・・・・・・・
概念の固着。脳が理解出来るように、名前を付けて固着させる。この一連の作業が、日本人はとても苦手、というよりやれていない。それに伴って、どんな不利益があるのか。価値・・・・・・・・・・・・
価値の創出。概念を固着させた後、それがどれだけ価値があるのか。価値の創出をする作業もある。日本人はこれも苦手で、というよりやった事がない。それでおかしな価値の評価をしたりする。尻馬・・・・・・・・・・・・・
尻馬に乗る。外国で賞を貰った人に、日本で賞をあげるという滑稽さ。日本でよく見られる光景の中に、外国の後追いで賞をあげる事がある。自分で価値の創出が出来ないので、後追いになってしまうおマヌケさ。やって良い・・・・・・・・・・・・・・
自分でやって良い。自分の判断でやって良い。ネーミングをつけてもイイし、価値を創出してもイイし、賞をあげてもいい。といっても、やったコトがなければ判断するコトも難しいのかもしれない。知る・・・・・・・・・・
ある程度知る。ある程度知ってから、判断というモノは出来る。全く知らないで、判断は出来ない。やはりタネがないのは、痛い。途中からでは、マネばかりになるのも仕方ない。出来る前提すらないじゃん!!てコト。育てる・・・・・・・・・・
無いなら育てる。前提すらないなら、それを受け入れてタネから育てる。概念に名前を付ける所から始める。簡単なコト、テキトーに付ければいい、遠慮はいらない。それで概念が固着し、脳が理解出来る。その後・・・・・・・・・
概念が固着した後。価値の創出。これが一番大切かもしれないが、なんにもない段階から、それがどれだけ重要か、いろんな人に広めて価値を演出する。価値って、あの手この手で捻り出すモンでしょ。絶対・・・・・・・・・・
絶対ではない。価値は絶対ではなく、流動的なモノ。だからこそ自分たちで作って良い。日本人は、絶対だと思いすぎて、自分で触ろうともしない。その根本を変えるべきではないか。やっちゃえばいいんだよ。補う・・・・・・・・・
無いから補う。日本人がないのなら補う。滑稽な賞の出し方、マネする後追い型、こんな風景は日本人が根本的に、概念の固着をしてこなかった事に由来する。それを踏まえて、補っていけばいいのでは?というのを今日の結論として締めましょう
固着は、認識。名前を付けてはじめて、脳が認識出来る。価値も創出して、世の中に認知される作業も、しなくちゃならない
なるほど、確かに日本人は価値を評価するのは苦手だよね。なんか遠慮して、自分で判断出来ない。やはり根本の部分が欠けてしまうと、その先も貧弱なまんまってコトでしょうね。だったら、タネからキチッと育てていきましょうってコトで、日本人の苦手も克服出来る気がします。それじゃ明日です
明日は『幻想』というタイトルで、国について考えます。お楽しみに!!