歪むの巻
<客観裁判は、外国人。しがらみのない無関係な人が判断すれば、真実が歪められるコトがなくなる。まともになれる>
どっちが正しい?もめてる状態を判断するのって、とても難しい。どちらかというと血走ってる人達からは、距離をとって関わりたくない。ただもしもめてる当事者に自分がなったとしたら、ちゃんと判断して欲しい。ジャッジ・・・・・・・・・・・
正しいジャッジ。ジャッジは正しくして欲しい。もしこちら側が間違っていたと判断されても、納得出来ればいい。ただしそのジャッジ自体が、明らかに偏っていたならば、到底納得出来ない。歪み・・・・・・・・・
偏りは歪み。真実が歪められてしまうから、当然納得出来ない。どうして、歪んでしまうのだろう。それは立場がどちらかの側に寄っているから。立場が寄っていれば、真実を歪めてしまうのも仕方がない。客観・・・・・・・・・
客観性の必要。判断は客観性がなければいけない。どちらかに偏っていれば、真実も歪めてしまう。ただ、本当の客観性のある判断というのは、出来るのだろうか。何らかの関わりがあるだけで、偏りは生まれる。無関係・・・・・・・・・・・
全くの無関係。例えば同じ国に生きていて、全くの無関係でいられる人というのは、いるだろうか。もしも何らかの繋がりや、立場上のしがらみがあった場合は、正しい判断は出来ない。全くの無関係は必須。外国人・・・・・・・・
無関係なら外国人。一番無関係な人は、外国人。会った事もない、見た事もない人に、情報だけ渡して判断して貰うのが、一番客観的。だったら、外国人でしょう。国内の人で裁く事には、無理なコトもあるように思う。裁判・・・・・・・
特定の裁判。特に権力者や、チカラのあるヒトを対象とする裁判の場合、外国人に判断を任せた方がいいような気がする。外国人が裁く、客観裁判。他の国の問題を、日本人が裁く逆パターンももちろんアリ。まとも・・・・・・・・・
まともになる。特に権力者に対する場合、客観裁判ではインチキが効かない。つまり権力者のチカラが届く外側に、判断する人間がいる。そうなって、はじめてまともになる。変化・・・・・・・・・・・・・・
変化が見られる。もしも客観裁判を導入して、今までと変化が生じた場合、権力者によるインチキがあった事を示している。権力者というのは、インチキをする。真実をそのチカラで歪める存在。本物・・・・・・・・・・・
本物の民主主義。外国人が裁く、客観裁判が導入されれば、本当の民主主義になる。権力者がインチキをしてしまう裁判では、民主主義ではなく権力主義。それだけに客観裁判は、インチキ権力者が一番恐れるシステムになる事は、間違いない。それを今日の結論として、締めましょう
客観裁判は、外国人。しがらみのない無関係な人が判断すれば、真実が歪められるコトがなくなる。まともになれる
そうか、外国人が裁いてもいいよね。だいたい、国内で国内のコトなんて裁けるハズ無い。権力者はモロ当事者だから、完全にその影響力外から裁く人を国内でまかなうコトは出来無い。とすれば当然外国からでしょう。もちろん法律の勉強をしている、資格のある人が適任だと思う。多国籍であれば、より納得出来る判断が出来る。どうやら、インチキ判決をそのまま受け入れるコトに、慣れすぎていたように思うね。もっとちゃんとした判断はあるってコトです。それじゃ明日
明日は『くやしい』というタイトルで、一番大切な物について考えます。おたのしみに!!