可能なのかい?の巻!!
<ダメージは、無駄。解決の為には、適切な方法を見つけ方が良い。無理に自分でやらずに、人に繫ぐのも効果的>
いや〜、このブログで事あるゴトに書いている、痛みの共有なんだけど、これだけくどく言っておきながら、本当にそれが可能なのかって事を、もう一回確かめようかと思ってね。否定・・・・・・・・・・
自分の書いていたコトの、否定になる可能性もあるから、恐いんだけど。そこは逃げるワケには行かないので、今日は痛みの共有について、より深く考える内容で。痛みの共有・・・・・・・・・・・・・・
そもそも痛みの共有とは。まずこれを説明しないといけない。自分のコトだと一生懸命考えるけど、他人事だとテキトーにしてしまう。責任を負うと自分の問題になるから、ちゃんと考えだす。逃れられない・・・・・・・・・
逃れられない所に身を置く。責任を持つコトで、逃れられない所に身を置くコトになる。無責任は、最終的に逃げられるから、最初からちゃんと考えもしない。自ずと質は低くなるって事。向上・・・・・・・・・・
質の向上。物事の質の向上の為にも、責任を持って痛みを共有するって大事。他人事では、無痛なので何もしないくても平気。ま、このブログに度々登場してきた、内容がこれなのだけれども。痛みすぎる・・・・・・・・・・・
痛みすぎると、狭くなる。あんまり重くとらえすぎても、考えの幅が狭くなってしまう気がする。ある程度無責任でも良いのではないか?そんな疑問が、自分の中で涌いてきて、今日のブログで探ってみるコトに。深刻・・・・・・・・・・・
深刻だと、逃げたくなる。受け止めすぎてしまうと、正直逃げたくなる。当事者は逃げられないけど、他人なら逃げてしまえる。その分かれ道の中で、本当に痛みを共有出来るのか。良い考え・・・・・・・・・・・・・・・
共有したとして、よい考えが出るのか。本当に痛みを共有した所で、良い考えが出なければ解決にはならない。とすると、ある程度無責任でいる事も、必要なのではないか。背負いすぎても、良い考えが出てくれるかは疑問。範囲・・・・・・・・・・・・・
自分の出来る範囲。痛みを共有しても、自分の出来る範囲は決まっている。つまり限界がある。何も解決出来無い、つまり役立たずが痛みを共有しても、足手まといになるだけではないのだろうか。繋ぎ役・・・・・・・・・・・・
出来ないのなら、繋ぎ役。自分が出来る範囲は決まっていて、カバー出来る所も決まっている。という事は、他のヒトならば別の範囲をカバー出来る可能性もあるという事。ならば他のヒトに繫ぐというのも、立派な仕事。枝葉・・・・・・・・・・・・・・・
枝葉を伸ばせば。違う人に繫いで枝葉を伸ばしていけば、いずれ解決出来る人に辿りつくかもしれない。無理に痛みを背負い込まないで、他人に繫いでいく事で、解決の可能性は広がっていく。繫ぐ事は逃げではない。身の程・・・・・・・・・・・・・・・
身の程を知る。厳しい言い方だが、身の程を知らないと悲劇はなくならない。自分が出来る範囲は決まっているので、それ以上を自分が出来るハズもない。その限界が、身の程。動く・・・・・・・・・・・・・・・
動くなら、自分事。解決出来無いまでも、その為に行動したならば、無責任ではないし逃げたコトにもならない。残酷だけど自分には限界があって、出来るコトも決まっている。その中で動いたなら、賞賛。ダメージ・・・・・・・・・
自分もダメージ。自分もダメージを受ける事が、良いコトとは限らない。自己満足は感じるが、解決にはならないやり方。実際の問題と、自分の出来る限界を見極めて、最良の行動を取るコトが求められる。って感じで、今日の結論にして締めましょう
ダメージは、無駄。解決の為には、適切な方法を見つけ方が良い。無理に自分でやらずに、人に繫ぐのも効果的
そうか、自分もダメージかぶると、自己満足は得られるんだよね。でも、確かにあんまり解決しないかもしれない。仲間意識みたいなモノは生まれるけど、最終的に足手まといになったら、もっと迷惑だからね。自分の出来るコトには限界があって、それ以上はただ自己満足のお馬鹿さんになっちゃうよって事でしょうね。はい、気をつけたいと思います。うん。では明日
明日は『訳あり』というタイトルで、お得感について考えます。お楽しみに!!