核心♪などなどなど〜

ぬきとる

出来合いの基準の巻!!

哲学・思想

<抜き取るは、判断。儒教の影響で、日本人は判断能力が欠落。従来通りにいかないこれから、水面下で判断し行動出来るチカラを育てたい所>

世の中は、安定した方が良いに決まっている。衝突が極力抑えられているのが、安定している状態なのだけれど、それには秩序が必要って言うのが、今日のお話。判断・・・・・・・・・・・・

自分で判断。自分で判断出来る事は大切なコト。判断が他人任せだと、いざという時戸惑うばかりで、なんの役にも立たない。その大切な判断を、否定するとなるとどうだろう。抜き取る・・・・・・・・・・

判断を抜き取る。自分で判断するコトを、抜き取ってしまう世の中があったらどうだろう。それじゃまるでロボットだろって声が聞こえそうだけど、その通り。判断を抜き取ってしまうと、プログラム通りにしか動けないロボット。秩序・・・・・・・・・・・・・・・

ロボットの世界は、秩序。プログラムがまともなら、衝突もなく安定したロボットの世の中になる。おや?安定した世の中とは、誰もが望む事ではなかっただろうか。もしもそうなら、判断しないロボットの方が良い世の中か。儒教・・・・・・・・・・・・・・

儒教というのは、判断を抜く。年長者を敬い、それを更に押し進めて、上の言うコトに従えとなる。これは身分制度と相性がいい。人を従わせる為に、とても都合が良いのが儒教。出来合いの基準・・・・・・・・・・・

出来合いの基準に、従っていればいい。自分で判断する必要は無く、ただ従っていればいい。判断を抜き取って従わせる事が秩序であり、それによって世の中の安定を成功させている。自由度・・・・・・・・・・

自由度の低い社会では、判断は邪魔。判断というのは、自由度がある程度許される世界で必要なモノ。自由度が少ない世界では、独自の判断は必要ではなく、判断は批判となり衝突を生んでしまう。日本人・・・・・・・・・・

日本人は判断しない。儒教の中にずっと居た。それが秩序だし、それによって安定した世の中にいた。今更それを崩せと言うのは、日本人にとっては残酷かもしれない。ハッキリと言う、日本人には自分で判断する能力が、抜き取られている。名残・・・・・・・・・・・・・

名残として残る。判断しない秩序は、今の世でも名残として残っている。それによって、安定した社会になっているのも事実なだけに、何が良いのかはよく分からない。崩壊・・・・・・・・・・・・・・

日本人が判断すると、社会は崩壊するのか?もしもこれから、自分で判断出来るようになったとする。とするならば、日本という社会は崩壊してしまうのだろうか。この問いに対しては、逆かもしれないと思う。時期・・・・・・・・・・

判断する時期。今までのカタチが崩壊している中で、今こそ自分で判断する時期かもしれない。判断を咎められる空気はまだ残っているが、充分に弱体化している。秩序自体がもうもたなくなっている。世界・・・・・・・・・・

世界の激変の中。従来の秩序にしがみつくヒトは、小さな流れの中だけで生きようとするヒト。もっと大きな流れを見ようとせず、小さな殻の中いる。小さな殻の秩序が、世界に通用する筈もない。衝突・・・・・・・・・・・・・

かといって、衝突はさけたい。従来の秩序を守ろうとする人達を、追い込む必要もないように思う。自分で判断するチカラだけが必要であり、そのチカラで未来を作りあげる能力が必要なだけ。待つ・・・・・・・・・・・・・

チカラを付けながら、その時を待つ。秩序を守りながら、その時を待つ。幕末の人達も、そんな気持ちで未来を作ったのかもしれない。水面下で準備しながら、じっくりと待ち続ける。相手は従来ではなく、未来だから。敵・・・・・・・・・・・・・

敵対するのは短絡。衝突も敵対も必要無く、実だけを育てるコトを優先させる。実がなければ、結局何も出来ない。実さえあれば、どうなってもいろいろと動く事が可能。カタチを変えるのではなく、中身だけを準備しておくという事。それを今日の結論としましょうか。締めます

抜き取るは、判断。儒教の影響で、日本人は判断能力が欠落。従来通りにいかないこれから、水面下で判断し行動出来るチカラを育てたい所

そっか、衝突せずに水面下で育てていけばいいのか。カタチを変えようとすると、どうしても敵対するし、衝突する。衝突すると不安定になるだけで、実質的な物は何も育たない。昔に比べて行動の制限は少ないので、実質を育てるコトを、咎められる事は少ないでしょう。だったら、自分で判断して実質を育てていきましょうよって、コトですね。はい。それじゃ明日です

明日は『偏見』というタイトルで、人の成長過程について考えます。お楽しみに!!

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