核心♪などなどなど〜

おとなのしょうめい

重すぎて、向き合えないの巻!!

哲学・思想

<大人の証明は、痛みの共有。記憶の傷が疼いて、他人を当事者にする。自分の問題として、受け止められるようになる>

出来るならば、避けて通りたいって事あるよね。それって、自分にとってすごく重いから。重すぎて、自分には無理。それで避けて通ってしまう。受け止める・・・・・・・・・・・

受け止めるコトが恐い。自分とは出来る限り遠い存在であって欲しい。それは、自分にそれだけの体力も、気持ちもないから。自分以上の能力が必要なコトは、誰でも恐い。覚悟・・・・・・・・・・・・・

覚悟がいる。避けて通りたいほどの事と触れあうには、覚悟がいる。いや、覚悟だけでは足りないのではないか。一体自分に何が足りないのか、どれ程あれば足りるのか、見当もつかない。経験・・・・・・・・・・

それは経験不足だから。まだ経験が足りないなら、見当がつかなくて当然。いろんな事を経験していく内に、物事の輪郭は見えてくる。自分がどう振る舞えばいいのかも、分かってくる。当事者・・・・・・・・・

経験とは当事者。いろいろ経験して、いろんな当事者になっていく。避けて通る第三者と、当事者と二つの視線で物事を見る。その経験があって、なるほどと思う。距離・・・・・・・・・・・・・

第三者と、当事者との距離。どれだけ距離があって、どれだけかけ離れているのか、経験があってやっと理解する。あくまで経験をして、分かるコト。ある程度、経験を積まないといけない。違いはない・・・・・・・・・・・・・

自分と当事者とは、何も違いはない。結論から言えば、距離はゼロだし、何もかけ離れていない。自分にも起こりうるコト。自分と同じ、いくらも違いのない人間であるコトが、分かる。向き合える・・・・・・・・・・

自分と違いがない事が分かって、真っ正面から向き合える。もうその頃には、それなりの体力と、気持ちも出来上がっている。いつの間にか覚悟も出来ている。年齢・・・・・・・・・・

年齢は関係ない。関係しているとすれば、経験の数。第三者と、当事者をどれだけ経験した?その数だけが関係する。数をこなすほど、だんだん分かってくる。逃れる・・・・・・・・・・・・

責任から逃れる自分。避ける事で、責任から逃れようとしている自分と、同じように逃げようとする周りのヒト。そんなモノが分かってくる。途端に自分を恥じる。それが成長した証拠。入り口・・・・・・・・・・

そこから大人の入り口。くどいけど、年齢じゃない。避ける自分が嫌になって、何とか向き合おうとする。凄く大変だけど、自分も当事者の気持ちが分かる。逃げるワケにはいかない状態。大人の証明・・・・・・・・・・

向き合えて、受け止められるのが、大人の証明。経験を積んで、大人になれる。凄く逃げたくなるんだけど、記憶の中の自分を見殺しにするワケにはいかない。ダレも自分を見捨てる事は出来ない。刻まれる・・・・・・・・・・・・・・・

経験が、自分の記憶に刻まれる。記憶の中の自分が、当事者とダブる。自分を見殺しに出来ず、自分を救おうと動き出す。その行動が大人の証明。他人の痛みを、自分の痛みに変えられるのは、記憶の中の自分が本当に痛いから。辛い・・・・・・・・・・・・・・・

なので、辛い経験は必要。記憶の中の自分が、痛み出すようになる。その記憶が作られる経験をする。それこそが、生きているコトの意味。他人である筈の人が、痛みによって結びつく。共有・・・・・・・・・・

痛みの共有が、人を結びつける。記憶の痛みが疼いて、放ってはおけない。それが大人。経験を積んだ人間は、それで強い。自分が痛いんだから、行動も続くし、本物。ブレるコトもない。システム・・・・・・・・・・・・

経験者が庇うシステム。人と人の本当の助け合いは、痛みの記憶の共有から。嫌な思いを沢山して、人は大人になる。それだけの覚悟も、献身的な行動も、苦にならずに出来る。そんな大人のシステム。うまく出来ている。今日はそれを結論として、締めます

大人の証明は、痛みの共有。記憶の傷が疼いて、他人を当事者にする。自分の問題として、受け止められるようになる


そう考えると、大人になるって短期間じゃ無理なんだな。ある程度時間かけて、ある程度経験して、それで大人になれる。記憶に刻まれる痛み。当事者の痛み。それを避けようとする幼い自分との葛藤だよね。大人って、実は自分の中で葛藤してる。答えは決まって無くて、自分の中の声に従うかどうか、記憶の自分を見捨てるかどうか、そこに掛かってるんではないでしょうか

それじゃ今日はこの辺で。明後日です。明後日は『権利』というタイトルで、お金について考えます。お楽しみに!!

-核心♪などなどなど〜