人口密度による、人の振る舞いを考えるの巻
<つぼみ型は、生き様。人口密度と分かり合いがし易い環境かで、生き方は変わる。国民性は適応のしるし>
人の目を気にして、積極的な行動は避けたい。日本人なら、その気持ちは分かる。そんな気持ちはどこから来るのだろうか。それを確認していきたい。いつでも・・・・・・・・・・・
いつでも人の目があるという事は、人口密度が高いのだと思う。密度が高いという事は、人と人との距離が近い。間隔が短いという事。間隔が短いので、いつでも人の目に晒される。勝手・・・・・・・・・・
人の目に晒される中では、勝手なコトは許されない。好き勝手なコトは出来無くなる。人目があるので、行動にブレーキをかけて遠慮するようになる。目立たない・・・・・・・・・・・・
極力目立たないように。行動は消極的になり、振る舞いは小さくなる。それが人口密度が高い所で、起こる現象。それと、それを生み出すのに、重要な要素がもう一つ。同一性・・・・・・・・・・・・・
同一性というのもある。これは、同じと言う事で、説明しなくても済んでしまうという特徴がある。分かり合う為に、説明する必要もなければ、主張する必要もない。最初からある程度、分かり合えている。暗黙の了解・・・・・・・・・・・・・
つまり同一性が高いと、暗黙の了解が存在。暗黙の了解の中にみんな居る。それだけに、あえて主張する必要は無くなる。波風立てぬよう、暗黙の了解を壊さぬような振る舞いになる。過疎・・・・・・・・
では人口密度が低い、過疎ではどうだろう。人口密度が低い所では、人との間隔が広く、距離も長い。この場合、何をしようにも、誰も反応しない。目が届かないので、気づかれない。自由・・・・・・・
それだけに、行動は自由に出来る。勝手気ままな行動が出来、遠慮という物は必要無くなる。そればかりか、余程のコトをしない限り、誰からも見向きもされない。人との距離が長いので、誰も気づかない。アピール・・・・・・・・・・・・・
逆に、最大限アピールしなければいけない。人口密度が低いと、大げさなほどアピールして丁度良い。それは、花を目一杯咲かせるような物。満開にさせるほどのアピールで、丁度良い。育つ・・・・・・・・
当然アピールのやり方も育つ。アピールにもいろんな方法がある。必要性が高いので、アピールの方法も育っていく。アピールという自己表現が、成熟していく。多様・・・・・・・・・・・・
さらに多様であれば、主張しないと通じない。同一ならば暗黙の了解があるので良いが、多様なら説明しないと理解されない。それで主張の仕方、分かり合う方法も育っていく。相手・・・・・・・・・・・・
どんな相手にも、伝わる方法論。それが研究されて、効果的に伝わるように工夫されていく。アピールと同様、伝える手段も成熟していく。人口密度と、同一性の関係。つぼみ型・・・・・・・・・・・
日本人は遠慮のある、つぼみ型。日本国内の、暗黙の了解の中で、遠慮しながら生きるカタチ。日本が他国との交流が苦手なのも、そういった状況に影響されているのだと思う。咲く・・・・・・・・・・・・・
気づいてもらう為に、咲かなくても良い。咲くほどアピールしなくても、つぼみのままで気づいて貰える。逆に咲くほどアピールしてしまうと、周りから煙たがられてしまう。異物として、倦厭されてしまう。それでつぼみ型。ルール・・・・・・・・・・・・
その国の状況によって、ルールが変わる。必要とされる能力も、変わってくる。それが国民性として、得意不得意になるのだと思う。それぞれの状況に適応した生き方をしている。無理・・・・・・・・・・・
無理をして、合わせる必要は無い。適応してきた生き方を変えるのは、大変なコト。無理をする必要は無い。ただ、理解はしたい。状況によって、生き方が変わることを。得意とする物が変わることを。それぞれ・・・・・・・・・・・・
それぞれ、咲き方は異なる。つぼみ型でも、満開型でも、それは環境に適応した智慧。それぞれを理解して、協力したり学びあったりすれば、より魅力的な生き方になるような気がする。それを今日の結論として、締めます
つぼみ型は、生き様。人口密度と分かり合いがし易い環境かで、生き方は変わる。国民性は適応のしるし
そうか、確かに日本人は、つぼみ型だよね。そして必要性がないからだけど、アピールは下手だよね。ここら辺は、アピールや魅力的に見せるのが上手な、アメリカに学んだ方が良いね。苦手な物は、相手に任すか学んじゃえば良いワケですね。苦手なままでも良いけれど、学んじゃうやり方もあるよって、コトです。はい
それじゃ明日。明日は『割合』というタイトルで、人工物と自然物について考えます。お楽しみに!!