人が対立してしまうコトについて、考えるの巻
<浅さは、対立層。感情的な攻撃モードで、対立。何も生まないその層から、生み出す為の構築層へ>
人が対立する所。それは、とても浅い所のように感じる。そんな、ふと感じた事から今日は足を踏み入れて行きたい。それによって、人という物の実体も見えてくる気がする。感情・・・・・・・・・・・・・
対立は、感情的な物。とても感情的に、対立する。そして冷静になった時、後悔したりする。あんなコト言わなければ良かったと。これは、普段と違うモードになっていたという事。大切・・・・・・・・・・・
おそらく自分の大切にしている物を、踏みにじられた。みんなそれぞれに大切にしている物がある。それが、揺らぐコトは恐い。踏みにじられないまでも、大切なモノが揺らぐだけで正気を失う。防衛本能・・・・・・・・・・・・・・・
それはおそらく防衛本能。自分を守ろうとして、攻撃的になる。それが感情的な攻撃モード。攻撃モードだと、冷静さを失い暴走してしまう。その時の行動は、あとで後悔する事になる。目先・・・・・・・・・
攻撃モードの思考は、目先の物。相手と自分だけしか見ていない。しかもその後どうなるかも、考えない。とても近場の、しかもその時だけの不満で対立してしまう。まるで目先しか見えていない。着地点・・・・・・・・・・・・・
着地点を考えると、攻撃モードから抜け出せる。着地点というのは、実は特別。目先や近場には、着地点はない。そして、防衛本能が働く場所にもない。その先に、着地点がある。層・・・・・・・・・・・
まるで層のようになっている。着地点は、その先の層の中にある。対立層ではなく、その先の層。目先や近場の感情的な、層を越えた所に存在する。踏まえる・・・・・・・・・・・・・
もちろん対立も踏まえる。対立も踏まえた上で、現実的にどうすればイイのか。それを構築していく。名付けるとすれば、構築層。浅い対立層に対して、少し深い構築層。意識を置く・・・・・・・・・・・
どの層に意識を置くかで、行動は決まる。つい感情的になっても、構築層に意識を置くことで、対立しなくても済む。対立した所で、何も生まれない。構築層にいればそれが分かる。不毛・・・・・・・・
対立が不毛な理由。対立は、自己防衛本能からくるモノ。何かを生み出す為のモノでもなく、現実的に対応するモノでもない。ただ大切にしている物を守る為の、攻撃。あとさきを考えない攻撃。何かが生み出されるハズもない。よく見る・・・・・・・・・・
構築層では、現実をよく見る。自分の考えと、相手の考えを冷静に置いてみる。大切な物を守りたい自分も、大切な物を守りたい相手も、冷静に見るコトになる。冷静に見ると、対立する両者の挙動はとても似ている。単純・・・・・・・・・
単純で短絡的な行動。対立層の双方の挙動は、とても似ていて、しかも単純。それが分かった途端に、その中には居たくなくなる。自分も同じだと思われたくはない。単純すぎて・・・・・恥ずかしい。身を置く・・・・・・・・・・・・
自分がどの層に身を置くか。その置き方で、行動は変わる。対立するのは対立層にいるから。着地点を考える構築層まで来てもらいたい。恥ずかしいと分かる所まで。よ〜く見える筈、以前の自分と同じ行動をする人達が・・・・・。そんなチョッと人の本質をも捉えた所で、今日は締めたいと思います
浅さは、対立層。感情的な攻撃モードで、対立。何も生まないその層から、生み出す為の構築層へ
構築層ね。考えって言うのも、層なんだね。どの層に自分を置くかは自由だけど、そんな階層構造になっているとはね。対立層の人は、その層しか知らないから盲信になり易い。もっと違う層があるよって、見せて行かないとイケないよね。熱くなって、盲信している人には、伝わりにくいでしょうけど。ま、地道にやっていくしかないんでしょうね。うん。それじゃ明後日
明後日は『別の言い方』というタイトルで、立体的な考えについて、ブログります。お楽しみに!!