尊重とちかしい、意外な存在を考えるの巻
<恐れは、本能。恐れさせる側になったら、尊重を携えて、自分の暴走を防ぎたい>
恐れと尊重は、とてもちかしいように思う。これはとても意外な組み合わせ。恐れと尊重というのは、意識の上でも別物。にも関わらず、とてもちかしいように思われるのはなぜだろう。それを探らずにはいられない。チカラ・・・・・・・・・・・
恐れを与える者は、チカラを持っている。チカラがない者は、恐れを与えるコトは出来無い。チカラを持つ者は、破壊の能力を持つ。自分が破壊されてはたまらない。大切なモノが破壊されてはたまらない。気持ち・・・・・・・・・・・
その気持ちが恐れとなる。そうなっては困るという気持ちが、恐れとなる。恐れは、存在を知ると出て来て、有効な対策がとれるまで続いていく。恐れる気持ちはずっと続く。請う・・・・・・・・・・・
恐れの中で、人々は許しを請おうとする。とてもかなわない存在に対して、許しを請おうとする。恐れが、許しを請うという形に変わる。崇める・・・・・・・・・・・・・・・・
更にそれは、崇めるという形に変わる。崇めて、自分の所に破壊が来ないように、許しを請うという事。何の対策もない状態の時、人は崇めて許して貰う以外の手がないのだろうと思う。お手上げ・・・・・・・
崇めるというのは、お手上げと言う事だろうか。とても大切な存在ですよと、相手を持ち上げているようなイメージ。崇めるというモノ自体を、もう少し分析する必要がある。崇めるとは何だろう。格上・・・・・・・・・・・
崇めるというのは、圧倒的な格上のポジション。相手の存在を、圧倒的に格上に置く。それが崇めると言う事。そして、渡せる権限は全て渡す。全てを投げ出して、許しを請うと言う事。最終手段・・・・・・・・・・
崇めるというのは、最終手段だと言える。それ以上はない。ここまで来て、どうやら考え違いをしていた事に気づいてしまった。尊重とちかしいと思っていたが、それは間違いだったらしい。格段・・・・・・・・・・
恐れから発するのは、尊重よりも格段に上にある。恐れは、お手上げの状態を作る。でも、尊重は自分のコントロール下で成り立つ。ちかしいと言うには、かなりかけ離れてしまっている。尊重・・・・・・・
尊重は、何も投げ出さないで良い。自分は自分のままで、相手を尊重すればいい。どちらかと言えば、見下さない事が重要になる。見下す側というと、どちらだろうか。逆の立場・・・・・・・・・・・・・
どうやら、逆の立場。つまりは、恐れを与える側が、見下さずに尊重して欲しい。尊重すれば、破壊というような事はしなくなる。大切な物を奪わなくなる。そのチカラ・・・・・・・・・・・・・
そのチカラを、破壊には使うべきではないという事。恐れられる側、崇められる側には、尊重を求めたい。人でも、人に恐れを与える存在はいる。自分がそうであるなら、尊重は持ちたい。振り回す・・・・・・・・
決して、チカラを振り回す事をしないように。チカラは振り回す物ではない。恐れを与えて、言いなりにさせるべきでもない。自分が、恐れを与えるようなチカラを持っても、それを振り回すようなコトはしない。みっともない・・・・・・・・・・・・・
それはみっともない。チカラは、そんな事に使う物じゃないので、恐れを与えていると気づいたら、尊重を意識して修正する必要がある。それで、みっともない状況から抜け出せる。打ち消す・・・・・・・・・・・
どうやら、恐れを与えてしまう自分を、打ち消す役割が尊重。自分にブレーキをかけてくれる物が、尊重かもしれない。暴走してしまう自分を制御する為に、尊重を携えておく。それって、安全弁として絶対に用意しておきたいモノのような気がする。と言うのを今日の結論として、締めます
恐れは、本能。恐れさせる側になったら、尊重を携えて、自分の暴走を防ぎたい
なるほど。自分は弱いと思っていても、もっと弱い人が見たら、恐れられる存在かもしれない。あくまで相対的な物。重要なのは、恐れられる側になってしまった時、チカラを制御する事。その為に尊重はいつでも携えときたいって、コトでしょうね。ふむふむ
それじゃ明日です。明日は『適正』というタイトルで、いろんな人の向き不向きについて考えます。お楽しみに!!