夢がある物の、佇まいの巻
<公園は佇む。誰でも受け入れ、待ち続ける。周りはどんどん変わる。でも公園はそこに佇み続ける>
公園の遊具を見てふと思った。みんなとても夢のある物。造った人は、いろんなコトを想像しながら造ったのだろうなと思う。それが風雨にさらされ、時間と共にくすんでいく。ボロボロ・・・・・・・・・・
ボロボロになっていく。表面の塗料がはげ、コンクリが見えたり。サビが垂れるように、表面をつたっていたり。時間と共にボロくなっていく。それでも公園は公園であり続ける。子供・・・・・・・・・
子供が駆け回り、お年寄りが腰をかける。誰でも受け入れて、拒むコトはない。サラリーマンが昼寝をし、猫がふらりと横切る。鳥たちが、何か地面をつつきながら食べている。誰も・・・・・・・・・・・・
誰もいない時もある。だだっ広い所に誰も居ない。それもまた公園。誰も居ないというのも、ひとつの公園の姿。物悲しくもあるが、誰かが来ればその状態も終わる。ただそれだけのコト。夢・・・・・・・・・
夢のある遊具。遊具はボロくなっても、ボロくなったなりに、存在感を示している。その遊具がなくなれば、ただの空き地。遊具は真新しくても、古くてもその存在を示している。主・・・・・・・・・・・・
遊具は主ではない。公園の場合、あくまで主はその公園に来る人。遊具は迎えいれる側。もてなす側。何も言わず、ずっと待ち続ける側。それが遊具達の仕事。夢のある遊具達は、ずっと待ち続ける存在。作り手・・・・・・・・・・・・
作り手は、ボロくなったり、待ち続ける姿を想像しているのだろうか。おそらく想像などしていない。楽しく遊んでくれるイメージだけを、持っているのだろう。意図・・・・・・・・・・・・
意図しない姿。ボロボロになり、待ち続けるだけの姿は、考えていない。それでも、それが素晴らしい。寂れた感じの公園も、それはそれで味がある。誰でも受け入れるというコンセプトが、守られているので、どんなカタチでも素晴らしいと感じる。姿勢・・・・・・・・・・・・・・
誰でも受け入れる姿勢があれば、ボロくても成立する。公園とは、そんな存在。夢がボロくなっても、それはそれで時間の経過が、味になる。この味というのは、興味深い。風雨にさらされているだけなのに。いろんな風景・・・・・・・・・・・
そこに刻まれたいろんな風景がある。その一つひとつが、味になっていく。キレイじゃなくても美しく、かけがえのない物。人がそこを行き来した記憶が、味としてかけがえのない物を演出している。人の営み・・・・・・・・・・・・・
いろんな人の営みが、刻まれている。公園には老若男女、いろんな人達の営みが刻まれている。それはそのヒトたちにとって、ごく一部の営みだが、とても大切な物のようにも思う。一呼吸・・・・・・・・
次に歩き出す為の、一呼吸。公園てそんな所。今日も公園は、そこに佇んでいる。10年前にも佇んでいた。おそらく10年後も佇んでいる。人が成長して変化しても、公園はそこにいる。地図・・・・・・・・
地図の中の公園。ずっと同じ所にいてくれる。周りは変わっても、人は変わっても、公園はそこに佇む。そんな存在を、かけがえのないモノと思うのだろう。そんな風に感じる。ってコトを今日の結論として、締めます
公園は佇む。誰でも受け入れ、待ち続ける。周りはどんどん変わる。でも公園はそこに佇み続ける
そうか、公園てそんな役目があるんだね。そんな事、意識下に置くコトなんてないけど、もし公園がなくなったらどうなのかな。なんとなく、息苦しくなる。そんな気がする。誰でも受け入れる、物言わぬ存在って、結構凄く重要かもしれませんよ。そんなコトを思いながら、明日です
明日は『世界』というタイトルで、その定義について考えます。お楽しみに!!