ヒトによって価値が変わってしまうのは、どうしてだろう?
<ヒトの価値は、希少性。中身の魅力ではなく、ただただ希少性。でもその裏の努力も見逃せない>
今日はヒトの価値を考えてみる。もちろんヒトの命の価値ではなく、もっと有名人的な価値の方を、考えてみたい。無名と有名で、どうして価値が変わってくるのか。見る目・・・・・・・・・・
その人を見る目が変わってしまう。有名人を見ると、それだけで嬉しくなる。普通のヒトと有名人とは、どこが違うのか。更に有名人ではなくても、何かの格が高いヒトを見る目は変わってしまう。特別・・・・・・・・
特別だと思って、見る目が変わる。特別なヒトに逢ったという事が、希少性になりそれで嬉しいのかもしれない。希少性の魅力であって、その人の魅力ではないのだろうか。好き・・・・・・・・・・
好きでなくても、有名なヒトと出逢えれば、それなりに嬉しいと思う。とすると、やはり希少性だろうか。その人の魅力では、ないのだろうか。困る・・・・・・・・・・
確かに、逢えた事に価値を感じるのであって、何をすればいいか困るコトも多い。とりあえず、サインでも貰っておこうかとなるだけ。サインを貰うのは、出逢った証拠が欲しい。それだけのコト。中身・・・・・・
どうやら有名人の価値は、中身ではなくその希少性でしかないらしい。とするならば、希少性が無くなれば、それほど価値が無い。有名人の数が多くなるほど、その価値は色褪せる。格・・・・・・・・
では、格のあるヒトはどうだろう。格の高いヒトとあっても嬉しいと思う。これも、希少性だろうか。格というのは、ポジション。ポジションが高いヒトも、確かに少数派。そう考えると、やはり希少性で間違いない。スポーツ・・・・・・・・・・・・・
では、スポーツ選手は?スポーツ選手が価値を持つのも、選抜されているから。スポーツ選手は勝ち上がった来たヒト。勝ち上がってきたという事は、それだけおびただしい敗北者が存在するコトを示す。勝ち抜き・・・・・・・・・・・
勝ち抜いてきたヒトは、少数派。それで価値を持つ。多数いれば、価値は色褪せる。どうやら、希少性というのが正解らしい。本人がどうとか、どれだけ優れているかは関係ない。ただただ、希少性。ヒトの価値・・・・・・・・
ヒトの価値というのは、ただの希少性。中身なんて関係ない。ただそのポジションにいられるヒトが、少ないって事だけの価値。そんな事だけで、ヒトは嬉しいらしい。単純・・・・・・・・・・
そこまでヒトが単純だったとは、思わなかった。実際そのポジションに着くと、それを誇らしいと思ったりする。とんでもなく単純。でもヒトってそんなモノ。手応え・・・・・・・・
そこに辿りつく為には、それなりの努力があり、手応えも欲しいのだと思う。有名になるのも、格も、スポーツ選手も、相当な努力や苦労をしている。それは間違いない。それなりの手応えが無いと、やり甲斐もない。報酬・・・・・・・・・・・
報酬があるから、がんばれるのだと思う。その実体が希少性であっても、価値が報酬となるなら、イイのかもしれない。運ではなく、沢山努力して得られたモノなら、そんな報酬があっても当然かもしれない。と言うのを、今日の結論として締めます
ヒトの価値は、希少性。中身の魅力ではなく、ただただ希少性。でもその裏の努力も見逃せない
そうか、希少性って言うのは意外だった。ヒトはそれを感じて、価値としていたんだね。数が多くなると、希少性が無くなるから、色褪せるワケね。でも、それだけ努力して勝ち取ったモノだからね。そう言うご褒美がないと、努力もしづらいのかなと思いますね。では明後日
明後日は『うやむや』というタイトルで、分かるコトの恐さについて考えます。お楽しみに!!