現代に知っておきたい事

だんぺん

モノの見え方は、なぜヒトによって違うのか?

哲学・思想

<断片は、モノ。断片を繫いで、何を成すかがその人の生き様。それぞれの運命は、自身で繫ぐモノ>

見えているモノは同じ。それなのに見え方はヒトによって違う。それはなぜか。なぜ同じモノを見ても、違うモノと捉えたりするのか。断片・・・・・・・・・

おそらくモノというのは、断片。ただの断片でしかない。それをどう繫ぐか。このどう繫ぐかというの曲者であり、重要参考人物だろうと思う。このどう繫ぐというのは、何なのか。別物・・・・・・・・・

繫ぐ事で断片は、別物に変わる。そのモノ自体は同じでも、違う意味を持つ。なので繫ぐというのは、別物に変える魔法。違う意味を持たせるもの。転がっている・・・・・・・・・

断片として、そこら辺に転がっている。そのモノとしての意味はある。でも、別物になる可能性があるというのは、みんな知らない。みんな知らないで、ただ転がっている。道筋・・・・・・・・・

繫ぐ道筋が見えているか。そしてそれを実行する能力があるか。そこに差がある。ヒトによって、その道筋が見えているヒトもいれば、見えていないヒトもいる。埋める・・・・・・・・

その差を埋める為には、カタチにして誰にでも見えるように、可視化するしかない。道筋は見えないモノ。モノとモノが繋がって意味を持つ姿は、見えているヒトしか見えない。説明・・・・・・・・

説明したとしても、それが伝わるかは分からない。道筋は、共有するのが難しい。よほど可視化しても、伝わるかは分からない。その差というのが、個性と言われるモノかもしれない。夢・・・・・・・・

夢というのも、断片。その断片に向かって、どんな道筋を作っていくのか。そしてどう実行していくのか?道筋というのは、おそらくヒトが動かせる余地。その余地が転がっている。それぞれ・・・・・・・・

道筋が見えるかどうかは、それぞれの能力。何をどう別物に変えていくか。または、道筋を作り叶えていくか。それはヒトそれぞれ。その個性が、ヒトの多様性を作り出している。運命・・・・・・・・

とすると、それこそ運命の糸なのかもしれない。断片を繫ぐ道筋が、運命の糸。運命の糸は、その人にしか見えない。そしてそれを成し得るかは、そのヒト次第。余地があるだけで、それを繫ぐかどうかは、本人次第。決まっていない・・・・・・・・・・

よく耳にする、運命は決まっていないというのは、その通りかもしれない。そこに余地があるだけの事。繫ぐ可能性があり、その資質がそれぞれにあるだけの事。そう思うと、いろいろ面白い。自分なりの運命は、自分自身で、ということでしょうね。それを今日の結論として、締めましょう

断片は、モノ。断片を繫いで、何を成すかがその人の生き様。それぞれの運命は、自身で繫ぐモノ

そうか。運命の糸って余地の事だったんだね。何か運命って、半自動的なモノだと思ってたけど。自分で繋げていかないとイケナイとはね。意外な結論に自分でも驚き。では明日

明日は『プロデュース大学』というタイトルで、経済の不足を補う事について考えます。お楽しみに!!

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