自分を追い込むモノの正体は?
<追い込むは、欲しがりすぎ。選別して、割り切る。追い込んでも1ミリも進まない。追い込むより、実のある行動>
誰が自分を追い込むんだろう。世の中だろうか。家族だろうか。会社だろうか。いつでも何かに追い込まれている。そんな気がする。その何かというのを、探ってみる。正体・・・・・
まず追い込んでいるモノの、正体が分からないと話にならない。自分を追い込む正体は何だろう。自分を追い込んでいるモノは、このままではイケないという気持ち。いつもそれがあって、自分を急き立てている。このまま・・・・・・
何で、このままではイケナイと思ってしまうのか。このままでイケナイと思うのは、成長する為には必要。ただ、それがあるからと言って、成長が保障される訳ではない。実際の行動をして成長はしていく。気ばかり・・・・・・・
もしかすると、気ばかり焦っているのかもしれない。実際の行動があれば、焦る必要は無い。焦らずとも、成長出来る。もう少し考えてみる。成長・・・・・・・・
成長というのは、得る事がある状態。得る事があれば、成長出来る。とするならば、どんなコトからも得ようとする姿勢が必要。それなのにどちらかというと、自分の能力の低さばかりが目立ち、それを欲しがって自分を追い詰めているのが現実。能力・・・・・・・
欲しがる能力は、世間に通用するモノが多い。どうやら、世間的に認められる能力を、欲しがっているらしい。それがないので、自分を追い詰める無限ループに入っている。確かに、世間的に認められる能力は魅力的。価値・・・・・・・・・
では、世間的に認められる能力に、本当に価値があるのだろうか。これはあくまで自分の判断で、価値が有るか無いかと言う事になる。答えとしては、ある場合もある。無い場合もある。と言うしかない。モノによって、価値はマチマチ。担い手・・・・・・・
その能力の担い手に、自分はなりたいのだろうか。今度はそんな問いかけを、自分にしてみる。欲しがっていた時と違い、担い手となると趣が少し変わる。担い手という事は、ずっと付き合っていけるモノ。果たして欲しいモノはそれに当たるのか。負担・・・・・・・
ずっと付き合っていけるモノというのは、負担でもある。そんなに沢山のモノは、負担出来ない。とするならば、何と付き合い何と付き合わないのか。もしも付き合わないモノまで、欲しいと思っているなら、それは余計な物。捨てる・・・・・・・・・・
自分の中で、何を捨てるか。欲しがっても、付き合わないのでは意味がない。付き合わないのであれば、捨てる。例え周りがやっていても、それは自分とは違う。つられる必要は無い。あくまで自分が、ずっと付き合えるかが基準。選別・・・・・・・・・・
付き合うモノと、捨てるモノを選別したら、もう一度確認してみる。それでも自分を追い込むモノはあるか。さほど自分を追い込むモノは、無いハズ。結局、世間につられているだけ。世間につられて、追い込まれている。割り切る・・・・・・・
自分と対話し、自分はそこまでと割り切る。結局自分の幅でしか、生きられない。一生つきあえるモノが、自分の幅。それ以外は、ホドホドに。少なくとも、それによって追い込まれるのは、馬鹿馬鹿しい。欲しがりすぎる自分が、自分の首を絞めている。諦める・・・・・・・
自分を諦める。スーパーマンには成れない。自分を諦めて、持っている能力を活かすだけ。それだけで充分。無い物ねだりを、切り捨てる。諦めの悪い、欲しがりすぎる自分を、切り捨てる。そうすれば、追い込まれなくなる。ひとはひと・・・・・・・・
ひとはひと、自分は自分。そう割り切った上で、いつでも自分と対話。必要なモノなら、実だけを追う。追い込むのは、健全じゃない。健全な努力だけにする。それと劣っている事実も、受け入れていく。いつでも、誰かより劣ってる。それで良い。事実・・・・・・・
劣っているのは事実なので、気にするコトはない。気にする時間があるなら、行動。行動せずに追い込んでも、1ミリも進んでいない。結局、追い込んだ所で1ミリも進んでいない事実を、焼き付ける。それが、追い込まない秘訣でしょう。・・・・・・・ってのを、今日の結論とします。ハイまとめ〜!
追い込むは、欲しがりすぎ。選別して、割り切る。追い込んでも1ミリも進まない。追い込むより、実のある行動
そうか、随分自分を追い込んでいたけど、1ミリも進んでいなかったんだね。これは笑える。追い込んでも良いけど、1ミリも進まないよってね。結局実を見ていれば分かるんだろうけど、世間て実以外のモノばかり見ちゃうから、見失っちゃうんだよね。気をつけたい所ですね。てなわけで、明日です
明日は『最後の容疑者』というタイトルで、犯人ついて考えます。お楽しみに!!