えすかれーしょん

すくりーん

画面はいくつ?

哲学・思想


<スクリーンは、断片。単純な欠片を、意識がつなぎ合わせて、イメージは出来上がる。今日分かったのはそんな、意識の仕事>

人が一度に認識出来る画面は、いくつあるだろう?ヒトの頭の中のスクリーン。眼で捉えた映像を認識しながら、他のコトも考えていたりする。眼で見ているモノと、頭の中の映像が同じだとは限らない。ダブル・・・・・・・・

少なくとも、二つ以上のスクリーンを行き来している。両方が、クリアに見えているかといえば、そうではないけれど。ボンヤリした中で、いろんな映像が浮かんでは消えている。そのボンヤリは脳が作り出しているに違いない。ボンヤリ・・・・・

もう少し、ボンヤリした映像の方を、探って行きたい。そちらの方に、物事の本質があるように思う。つまり脳の本質や、認識の本質があると。そう睨んでいる。なので、ボンヤリの方から探って行きたい。不完全・・・・・・・・・

ボンヤリは不完全。とはいえ、それなりの主張がある。自分の感情や、心情ととても近い所にある。どちらかというと、そっちのボンヤリの方が、通常のような感じがする。眼で見ているハッキリとしている映像は、無理をしているのかもしれない。見えていない・・・・・・・

ハッキリとしているこの映像の全てを、人は認識などしていない。人は見ているが、結構な部分を捨てている。意識して、認識している所以外は、捨ててしまっている。結局、全てを認識出来ない。無理をしているから、全ては見えていない。丁度イイ・・・・・・

本当は、ボンヤリくらいが丁度イイ。情報があり過ぎると、処理しきれない。処理というのは、そのモノの意味の把握。それが追いつかないだろうと推測出来る。とすると、ボンヤリして意味も単純で分かり易いくらいが、丁度イイのではないだろうか。入ってきて・・・・・・

頭に入ってきて、その意味を理解する。意味と言っても、単純化される。同じモノが入っても、その意味の捉え方は、人によって違うと思う。同じヒトでも、年齢によって変わると思う。単純化しているのは同じだけれど、意味合いは変わっていく。跳ね返り・・・・・・

同じモノが入っても、跳ね返り方が違う。ボンヤリと、跳ね返ってくるイメージが人によって、違うように思う。経験も違うし、境遇も違う。同じ跳ね返り方を、するハズがない。ボンヤリ出てくるイメージは、人によって違う。個性・・・・・・・

それが人の個性かもしれない。その個性によって、ヒトはバラエティー豊かな能力を持つ。同じ人間は居ない。それぞれの考え方の違いは、ボンヤリ出てくるイメージの違い。見ている・・・・・・・

ボンヤリ見ているイメージは、映像だろうか。映像かと訊かれれば、とても怪しい。それは、映像と言えるモノでも無く、音声と言えるモノでも無い。説明するとなると、映像や音声になるが、本当にそうだろうか。ここら辺も、探ってみたい。揮発性・・・・・

音にしろ映像にしろ、とても揮発性が高い。泡のように、涌いては消えていくモノ。意識をそちらに傾けなければ、すぐに消えてしまう。おそらく意識が、拾うかどうかが重要なポイントになっている。意識は頭に浮かんだモノを、拾っている。分かればいい・・・・・・・

映像でなくても、音声でなくても、意識が分かればいい。意識が分かるというのは、どの程度のモノだろうか。眼を閉じてみる。すると、眼を開いている時よりもハッキリと、映像が見える。それは動画ではなく静止画。特徴的・・・・・・・・

それは、特徴的な数枚の写真のようなモノ。それをヒントに、意識が拾う。あとは意識が補完し、映像のように作りあげる。眼を開いている時でも、その作業はしている。ただ眼で見ている映像が邪魔をして、分かり難いのだろうと思う。写真・・・・・・・

写真のようなモノは、同時に何枚も浮かぶ。おそらくそれをスクリーンとするなら、3〜4面という所か。それプラス眼で見ている映像がある。大体人は、5画面くらいを同時に見ている。それを意識が、映像化していくのだと思う。音・・・・・・

音はどうだろうか。私の能力だと、音は実際耳で聞こえているのが一つと、頭の中では二つ。同時にだとそれが限界だと思う。ただ、これは人によって、差があるだろう。音楽が得意な人は、もっと沢山の音に囲まれているハズ。短い・・・・・・

音の場合は、短い音で構成されている。おそらくは、2〜3秒刻み。それを連続させれば、音楽にもなる。意識が、連続して繋げれば、それも可能と思う。結局は断片。映像にしても音声にしても、断片でしかない。その破片を、どう繋げるかは、意識が決めている。ようなモノ・・・・・・

映像や、音声のようなモノ。それを脳で作りあげるのだと思う。実際の映像や音楽を認識するのと、同じ所に働きかけるのだと思う。そこに働きかけられれば、シッカリした音や静止画でなくても、コト足りるのだと思う。実際・・・・・・

実際脳がどう働きかけているかは、専門家にお任せする。私が知りたかったコトは、だいたい分かった。私が映像だと思っていたモノは、かなり単純な断片だった。それを補完する役目が、意識にあるのだろうという事も、分かった。それで充分。今日はこれまでにして、締めます

スクリーンは、断片。単純な欠片を、意識がつなぎ合わせて、イメージは出来上がる。今日分かったのはそんな、意識の仕事

そうか、意識って仕事してるんだ。意識自体のイメージも、ボンヤリしてたんだけど。それがなんとなく、ハッキリした感じ。意識は脳が作り出す断片を、自分の責任で繋げて、イメージ化するって言うね。うん、我ながら今日も大納得!と、悦にひたりながら明日でござ〜る

明日は『前フリ』というタイトルで、自分の存在について考えます。お楽しみに!!

-えすかれーしょん