答えがないモノは?
<理解は、快楽。なんとなくから、ハッキリとした理解に変わる。その安堵と清々しさ。それこそ、人間活動>
理解するって何だろう。何でもかんでも理解したがる自分が居て、このブログその一つの行動。でも、理解出来ないモノもあるのではないかと。そんなコトを思った時、理解って何だろうって?感じる・・・・・・
理解して行動するだけじゃなく、感じて行動する時もある。それからマネして、行動する時もある。理解なんかしなくても、生きていける。どっちかというと、何でも理解しようなんて思ってたら、あんまり良い生き方は出来ない。なんとなく・・・・・・
なんとなくは、理解じゃない。でも、それでたいていの事は、問題なく出来てしまう。理解しようとする事自体が、少しやり過ぎ。世の中のモノを、何でも理解しようとする事自体が、傲慢なのかもしれない。傲慢・・・・・・
どうして、こんなにも傲慢になってしまったのか。どうしてココまで、理解したがるのか。理解出来るとスッキリする。理解出来ていないと、困るコトも存在する。困るのであれば理解しておいた方がイイ。理解したいと思うのは当然。方向・・・・・・・・
理解したいと思う方向は、間違っていない。人はそちらの方向に、動いている。人と動物との違いは、理解するコトかもしれない。そこに差があるように思う。とするなら、理解したいというのは、人であれば当然。それが傲慢であれ、ヒトはそういう生き物。わからない・・・・・・
理解出来ないは、分からない状態。分からない状態は、周りに沢山ある。それを、いろんな人が分かろうと、日々努力している。分からないを分かるに変えたい。それがそのヒトたちの願い。根源・・・・・・
おそらく理解は、根源を知り、識別する事。根源を知り尽くせば、そのモノの特性が分かる。今起こっている現象の、構造が見えてくる。構造が見えると、対応も簡単。間違った対応や、無駄な対応をしなくて済む。何の為に・・・・・・
何の為に、そこまで理解し、対応したいのだろう。もしも分からないまま、何らかの対応をしないとイケナイとする。それだと、おそらくうまくいかない。痛手を被るコトもあるかもしれない。これはリスク。人はリスクからは、遠ざかりたい。安堵・・・・・・・・
理解し、キチッとした対応が出来た時の安堵。完璧に対応出来れば、リスクはゼロになる。それは事実であり、人はそうやって知を積み上げてきた。なにより、理解出来た時のあの気持ちよさ。快楽・・・・・
理解出来た時の、快楽はとても強い。その快楽に引っぱられて、また理解したくなる。なんとなくから、ハッキリに変わった時の、抜けの良さ。その清々しさが、また理解への歩を進める。どうやら理解というのは、人間活動。人活・・・・・・・
人である限り、人活は止められない。その人活の大きなひとつが、理解したい行動。根源を突き止め、識別対応するのは、人間の宿命。人間である限り、その活動は続いていく。それを今日の結論として、締めます
理解は、快楽。なんとなくから、ハッキリとした理解に変わる。その安堵と清々しさ。それこそ、人間活動
そうか、人間活動か。人間らしい所と言えるんだね。だったらこのブログ自体、人活なワケで。これからも続けて行きたいワケで。シックリ、ハッキリ、スッキリした時の、快楽や清々しさはやめられないワケで。これからも続いていくワケで。父さん。このブログは明日に続きます。
明日は『スクリーン』というタイトルで、頭の中の画面について考えます。お楽しみに!!