どれだけ待てばいいのか?
<慣れの扉は、待つこと。不充分なまま、次から次へと、開きたがる。大人が真犯人。この病巣は深い>
慣れると、次が欲しくなる。それだけでは足りなくなる。慣れるほどに、刺激が無くなる。刺激が無くなると、次が欲しくなる。それはまるで扉。次の扉が用意されている。一つずつ開いていく、扉。自発・・・・・
自発的に扉を開けないと、次は来ない。自分で、何かしないと、次にはいかない。自分が決めるコト。その段階で止まっても構わない。次に進んでも構わない。全て自分で決める。不充分・・・・・・
不充分なまま、扉を開けるコトを求められたとする。次へ次へと焦るあまり、不充分なのに、扉を開けてしまったとする。であるならば、カタチだけ取り繕って、中身は置き去りのままになる。求める・・・・・・
誰かや自分が求めすぎたとして、中身が置き去りでは意味がない。カタチだけ取り繕うのは、よくあるコト。なぜ、そんな事をしてしまうのか。なぜ確認しないのか。中身が置き去りなのは、確認すれば分かるハズ。カタチ・・・・・・・
カタチばかり追う。それで次へ次へと行きたくなる。それだけで、他より優れていると思い込んでいる。少なくとも、他に良い顔が出来る。それで、中身が置き去りでも次の扉を開く。不充分なまま次々と。大人・・・・・
大人が待つコトが出来無い。もう少し待ってあげれば、良いのに。次を要求してしまう。カタチばかり追うのは、大人。大人が焦りすぎる。大人とは何なのだろう。本当に大人と言えるのだろうか。見ていない・・・・・
結局楽をして、本当のところを見ていない。それでも良しとしてしまう。自分が安心したくて、中身が伴っていなくても、次に行かせたがる。慣れるまでではなく、早く早く次々求める。病気・・・・・
大人はそういう病気。そんな大人が作っている世の中だから、それが病気とは思わない。急ぎすぎて、中身が疎かでも、そういうモノになる。でも、実際中身が伴っていない。独自・・・・・・
ならば、独自で補っていくしかない。大人の言ってきた事、やってきた事は参考までにする。独自のやり方で、急ぎすぎて疎かになった所を、補っていく。どこまだやればいいかと言えば、慣れるまで。慣れれば次が欲しくなる。待つ・・・・・・・
自分で、次が欲しくなるまで待つ。病気の大人達のやり方は、一つの方法。自分で足りない分を、やり直す。次が欲しくなるまで待って、次の扉を開ける。それでやり直せる。中身が伴う時は本当に楽しい。味わう・・・・・・
本当の楽しさを味わう人が増えるほど、病気は治っていく。中身が伴うようになっていく。大人が病気ならば、ずっとそのまま。その流れを変えたい。慣れるまで待つやり方の方に。世の中・・・・・
世の中分かっているようで、何も分かっていない。大人がそうなので、しょうがない。案外そんなモノ。それが今日の結論。ちょっと寂しい結論になった所で、締めます
慣れの扉は、待つこと。不充分なまま、次から次へと、開きたがる。大人が真犯人。この病巣は深い
そうだよね。大人がそうだって事は、なかなか病巣深いよね。待てないんだし、そもそも見てないワケだからね。大人がそんな調子じゃ、子供も困るよ。でも、そんな流れを、いずれは断ち切るしかないでしょう。それがいつになる事やらと、思いながら明日です
明日は『守りたい』というタイトルで、他の命がある時の自分の変化について考えます。お楽しみに!!