世の中は、実は半分が基本なのでは、ないか?と言う内容です
<半分は、両極。局と局の振れ幅が広いほど、自由。この世界は、不自由ではなくとても自由>
半分だと考えると、分かり易い。半分が本当で、半分が嘘。半分が現代で、半分が未来。半分が他人で、半分が自分。半分と考えるコトで、物事が進みやすくなる。全部・・・・・・・・
全部としてしまうと、途端に破綻する。全部本当とすると、そんな世の中は存在しない。破綻してしまう。かといって、全部嘘かと言えば、それも破綻。現代だけ、もしくは未来だけでも破綻。他人だけ、もしくは自分のコトだけを考えても破綻。動かない・・・・・・・
全部というのでは、動かない。全部の方が安定している。それで全部を求めたがる。完全無欠を求めたがるが、それは無理な要求。もし全部という、とても安定した世界があっても、それは動かない。安定しすぎ・・・・・・・
安定しすぎて、動かない。それでは何の変化も期待出来ない。変化をしないというのは、死んでいるのと同じ。蠢きながら、生き物は生きている。たえず変化しながら、生き物は生きている。半分にする事で、変化出来る。不安定・・・・・・・
この世界は、不安定に出来ている。実際には半分安定、半分不安定。しかも、安定を好む人と、不安定を好む人の両方が存在している。同じヒトでも、状況によってどちらを選ぶかは変化する。何も決まり切っているモノはない。その中・・・・・・・・
不安定と安定のその中を、人はすり抜けながら生きている。人自体も、不安定と安定を持っている。安定しすぎれば、変化はないし。変化する人は、不安定。どちら側に立つか。それも決まり切っていない。攻めと守り・・・・・・・
この世界は、攻めと守り。変化するコトは、攻めるコト。変化しないコトは、守るコト。その場その場で、どちらにも進める。自分で判断して決める。おそらく半分は正解で、半分は不正解。とするなら、どんな選択も、気にしなくて良い。逆に・・・・・・・・
逆に全てがうまく行くようなことは、存在してはいけない。それは世の中の摂理に反している。世の中は半分半分。全てがうまく行くことも、全てがうまく行かないことも、あってはなら無い。特にうまく行ってる時は、気をつけないとイケない。気づきにくい・・・・・・・
でも、うまく行ってる時は気づきにくい。それが当たり前だと、思っているから。失って困るコトが多いほど、うまく行っているというコト。当たり前なんてコトは、存在しない。でもそれは気づきにくい。摂理に反していても、気づかない。欲張らない・・・・・・
全部を欲しがるような、欲張り方はしない。半分で大満足。不幸があったとしても、それは違う意味も持つ。不幸には不幸なりの意味がある。一つの基準では理解出来ない、もう一つの世界が存在している。二つ・・・・・
おそらく世界は、二つ。それが綯い交ぜになっている。半分という考えもあるが、二つの相反するモノがあるという考えも出来る。二つの相反するモノが存在するので、その中で活動出来る。しかも自分で丁度いい所を、見つけて良い。居場所・・・・・・
どこに居場所を求めるか。それはヒトそれぞれ、好む場所が違う。自分や他人、その時の状況と折り合いを付けながら、決めていくしかない。それでも、半分は間違いだし、半分は正解。どちらに行っても、絶対はない。事実・・・・・・・
絶対はないが、ひとつひとつが事実となって、刻まれていく。両極の間で、生きた跡が事実として刻まれる。事実だけが存在するが、それは決まり切ったモノではない。シナリオはない。それぞれの結果が、事実。フィールド・・・・・・・
両極のフィールドで生きている。それだけに、ある程度自由に生きるコトが出来る。この自由は、半分の世界が生み出したモノ。半分の世界は、決まり切ってはいない、自由な世界。両極の半分があってこの世は成立している。それを今日の結論として、締めます
半分は、両極。極と極の振れ幅が広いほど、自由。この世界は、不自由ではなくとても自由
そうなんだ。この世界って、自由なんだね。両極が存在して、それが決まり切ってなくって。それってとても、自由ってコトなんだ。こりゃありがたい。で、自分の行動については、ちゃんと責任を負う。なぜなら自由だから。決められたシナリオはなく、自分で決めてるんだからね。うん。てな締めで明後日ですね
明後日は『姿勢』というタイトルで、身につけるコトを考えます。お楽しみに!!