いい加減な感覚が、生活を支配しているとすると、どうなる?
<感覚は、古い。固定観念は、防衛本能で、多数派の考えを自分に転嫁しただけ。ただの、固定観念教の信者>
生活は感覚に依存している。感覚というのは、固定観念と言い換えても良い。固定観念は、そうでないといけないと、思い込まされているモノ。それだけに問題も起こり続ける。実・・・・・・・
固定観念は、実ではない。実は今だが、固定観念は過去から引き継がれたモノ。つまり固定観念自体は、いつでも古いし、現状とズレている。それでも、過去からの積み重ねで生きているので、固定観念からは抜け出せない。お金・・・・・・・
お金に関しても、古い考えが残る。経済状況が変わり、物価も変動している。モノが安くなって、生活はしやすくなっている。モノはどちらかと言えば、溢れていると言ってイイ。にも関わらず、昔と同程度の収入を欲しがる。そうでなければダメだと思い込んでいる。融通・・・・・・・
状況に合わせて変わるハズが、何とも融通が利かない。これだけ経済が変わっても、感覚は修正されない。それどころか固定観念に合わせて、譲ってはイケないモノだと思い込む。人は、今なんて見ていないってコト。引き継ぎ・・・・・・
昔から引き継いだモノを、そのまま基準にする。おそらく、よほどのコトがない限り、変わらないんだろう。少しずつ、少しずつはぎ取られるように、感覚も修正されていく。固定観念も修正されていく。それは人によってマチマチ。おかしな人・・・・・・・
あまりにも昔を引きずる人を、おかしな人だと切り分ける。ただ、みんな多かれ少なかれ引きずっている。にも関わらず、おかしな人と切り分けてしまうのは、ヒドイように思う。どこら辺から、そんな風に切り分けられるのか。ライン・・・・・・・
おかしな人と切り分けるラインは、どこにあるだろう。おそらくは、人数の問題。少しずつ変わっていく中で、それが次第に多数派になり、大半を占めるようになる。その大半がラインだと思う。大半の人が変わっているのに、変わらないとおかしな人に、されてしまうのだと思う。いい加減・・・・・
人というのは、本当にいい加減な中で生きている。生活は、いい加減で成り立っている。なので、こうでないとイケないと思われている事、そんな事気にする必要は無い。おかしなヒトと思われても、気にする必要は無い。守られて・・・・・
多数派にいて、守られていたいだけ。守られた中で、攻撃したいだけ。安全圏の中で、人を攻撃したい。それだけのコト。キッチリとした基準はない。いい加減な感覚。実からはかけ離れた、適当な固定観念。弱虫・・・・・
結局固定観念に縛られるコトで、安心している弱虫。多数という幻想にしがみついている、目を持たない弱虫。誰かと同じでいる事で安心。違うコトを恐怖する。そのくせ、他人は攻撃したい。ずるさ・・・・・
そんなずるさが、多数派の正体。なので少しずつ変わって、その後一気に変わる。変わる理由も分からないヒトも多いハズ。固定観念はまだ残っている。それでも変わらないといけないみたいなので、変わる。根拠・・・・・・・
固定観念の根拠は、多数。他のヒトが言っているコトが、自分の固定観念になる。固定観念というモノ自体も、自分から出てくるモノではない。それは確実。自分から出てくるモノには、実がある。実は揺らぐモノではない。自発か他発か・・・・・・
自発か他発かで固定観念かどうかが、決まる。他発が固定観念だとすると、自発は何観念になるんだろう。自分から発せられる考えが、自発。自発という事は、自分で決めている。決めるという事は、おそらく何かを自分で持っている。基準・・・・・・・・
自分で持っているのは、基準。それで価値を判断出来る。持っているのは価値基準。観念という、固定されたモノからは、解放されている。そうか、観念というモノは、人を縛り付けるモノ。自分で価値基準を持っていれば、そこから解放されている。依存・・・・・
自分で価値基準を持たないヒトは、依存するしかない。依存して、お互いを縛るしかない。縛られた外に出てしまうと、どうしてイイのか分からない。それが一番恐いこと。固定感の中なら、どうすればいいのか、だいたい分かる。他にも大勢のサンプルがいるから。古い・・・・・
固定観念は古いけれど、ある意味では安心出来る。今まであったことなら、起こりうるコトが予想出来るから。それはもしかすると、防衛本能かもしれない。防衛本能ではあるが、実は見ていないというのも事実。気にしない・・・・・・
価値基準を持たないヒトが言うことは、気にしない。彼らは安心を得る為に、縛りたがるだけ。彼らに実は存在しない。防衛本能が、その振る舞いを支えている。他人に同じコトをするように要求するのは、そうでないと理解出来ないから。してない・・・・・・
でも本当は、理解なんてしていない。周りに合わせているだけ。周りと同じという事で、安心しているだけ。違いを認める許容量は、存在しない。みんなと同じだけが正義。そう信じ込む信者。固定観念教の、信者。振る舞い・・・・・・
状況の中で、人はいろんな振る舞いをする。自分に基準があるか、他に基準を求めるか。それで、振る舞いは変わる。人がなかなか変われない理由は、そこにもあった。という事を今日の結論としましょう。はい締めます
感覚は、古い。固定観念は、防衛本能で、多数派の考えを自分に転嫁しただけ。ただの、固定観念教の信者
そうか、固定観念教の信者か。なるほどね。固定観念て、誰かの考えであってその人の考えじゃないって事ね。なるほどなるほど。この発見は大きいって自分では思います。自分の価値基準ですけどね!はい。それじゃ明日に行きましょう!
明日は『学と術』というタイトルで、その二つの違いについて考えます。お楽しみに!!