えすかれーしょん

たんじゅんであるりゆう

物事の核は、なぜ単純なのだろうか?

哲学・思想

<単純である理由は、形。カタチがあるモノは、核か理由を持つ。形という現象は、核に起因する>

物事は、核に近づくほど単純になっていく。それはどうしてだろう。なぜ複雑ではいけないのか。それを探ってみる。複雑・・・・・・・

物事の核は複雑ではいけないのか。もしも物事の核が複雑だと、そこから派生するモノは、もっと複雑になる。複雑になりすぎると言ってもイイ。破綻・・・・・・

複雑になりすぎると、破綻する。複雑になりすぎたのものは、形として保てない。複雑であるという事は、不確定要素が増えるコト。小さな世界で、複雑さが増せば、それは不確定要素の増大。安定しない。弱く・・・・

複雑で安定しないと、弱くなる。複雑さは、いろんな要素を含む。その一つ一つの振る舞いは、モノを弱くさせる。強いところも作るが、その中に弱点も沢山内包させる事になる。この世界が安定しているなら、物事の核は単純なハズ。ひとつにひとつ・・・・・

物事ひとつに、核は必ず一つ。そもそも、物事一つに核は一つしかない。なぜ核は一つなのか。核がいくつもあった場合、どうなるだろう。方向性・・・・・・

核が二つある場合、方向性も二つ。形を成すとしても、同じ働きをするモノが二つ以上あると、形にならない。モノとして成立しない。核は一つであるから、モノとし成立。核が二つなら、二つの形が出来るのが自然。目的・・・・・・

核の存在理由は、形を成す事。それが目的と言える。では、なぜ形を成さなければいけないのか。世の中には、形を成さないモノも、沢山ある。それは、漂い流れるだけ。形を成さないモノは、モノとしての認識も難しい。不確定すぎる存在。性質・・・・・・

核があり過ぎたり、複雑すぎたりすると、その性質も増えすぎてしまう。性質の振る舞いは、変化しない。性質が沢山あると、変化しない性質同士が、それぞれの振る舞いをする。それが不確定になる理由。混ざりモノ・・・・・・

不確定な振る舞いをするモノは、混ざりモノとして判断される。不確定なモノも、世の中には存在する。でもそれは、混ざりモノと処理されるだけ。混ざりモノは、ノイズであり、不純。物事一つとは認められない。複雑な場合・・・・・・

物事の核は一つで単純なので、もし複雑になった場合は、核まで辿り着けていないという証拠。複雑であるうちは、まだ先がある。核が複雑であるハズがない。複雑なら、精製が出来ていない。掘り起こしが足りない。強い・・・・・

核を持つモノは、強い。その核の指し示すとおりに、全てがコントロールされる。核というのは、コントロールか・・・。何らかの意志を持っていると、言えるのだろうか。形・・・・・・

いや、形を保つなら、自然に核は出来ている。カタチがあって、核がある。特に強い形を持つモノなら、カタチがある。核を持たないとしても、形を保つ理由がある。その理由が核であると考えてもイイかもしれない。追求・・・・・

形を保つその理由を追及出来たら、核まで辿りついたと考えてイイ。物質としての核だけでなく、概念も核になりうるという事。別段意志を持たなくても、核はある。カタチがあれば、核がある。理由・・・・

カタチがあるのは、核か理由があるからか・・・・。それがないと形になれない。なんか不思議な感じだね。形というモノについても、また今度考えてみるか。今日は、ここら辺で締めましょう。今日はメモ的な内容ですね。私の興味本位。締めます。

単純である理由は、形。カタチがあるモノは、核か理由を持つ。形という現象は、核に起因する


そうか、カタチがあるのは、核があるからなのか。なかなか面白い結論だったね。核を持つのは、意志じゃなくて、形あるモノは全てそうなんだね。あれ?でも待てよ、原子核とかって意志無いで出来るかな。不思議だよね。ま、そこら辺はまた別の機会に考えましょ。それじゃ明日です

明日は『平面』というタイトルで、人のスキルと社会の在り方について考えます。お楽しみに!!

-えすかれーしょん