えすかれーしょん

ぼうきゃく

哲学・思想

忘れたモノが、元の場所に帰ると思い出す現象は、なんだろう


<忘却は、跳ね返りの変化。場所が変わると感じるモノも変わる。外的なモノと内的なモノが、影響していた>

その部屋に、何をしに来たのだろう。何かをしに来たのは確かだが、何をしに来たかを思い出せない。そんな時、元いた部屋に戻る。そしてその場でしていた事をすると、忘れていたモノを思い出せる現象。これはどう言ったメカニズムなのだろう・・・・・

忘れて戻っても、時間的には長く経過している。忘れるという行為が、時間と共に進んでいくなら、元の場所に戻っても、思い出すことはないハズ。とすると、時間的な要素は関係ない。あくまで場所が関係している。なぜその場よりも、元の場所の方が、思い出しやすくなるのか・・・・・・

元の場所にあるモノは、その行動を起こそうとした状況。それがその場にある場合は、話が早い。必要なコトがその場所にあるから、それを発見してやる事を思い出す。それだけのコト。ただ、問題があるとすれば、その場に必要なコトが無かった場合。この場合はどう考えればいいのか・・・・

そこに必要なモノはない。とすると何があるのだろうか。おそらくその場でないと思い浮かばないモノがある。それはなんだろう。場所によって、感じ方が変わる。感じ方が変わるとするならば、元の場所でないとマズイ。感じ方が変わるというのは、なんなのか・・・・・

感じるというのは、物事を捉えて跳ね返るモノ。その跳ね返り方を、感じると言っている。とすると、その場所その場所で、跳ね返るモノが違っている。自分はそのままだが、場所によって跳ね返るモノが違ってくるので、同じ場所でないと思い出せない。そう考えると、シックリいく・・・・

自分はそのままなので、感覚的には分からないが、場所によって入ってくるモノも、跳ね返るモノも違っている。人はその場その場で、いろんなモノを跳ね返らせているのかもしれない。その跳ね返りを、感じるという言葉にしている。どの場所で何を取り込み、何を跳ね返らせるか・・・・

感じたい為には、場所を変える事も必要かもしれない。同じ場所では、跳ね返るモノも同じ。場所を変えると、違うモノが跳ね返る。それは新しいモノを感じると言うコト。いろんな場所に行って、いろんなモノを入れて、どんどん感じるコトも必要かもしれない・・・・

場所が変わると、感じ方も変わる。そして、新たな場に行ったら、前の事は忘れてしまうコトも多い。忘れてしまいたい時にも、場所を変えた方が良いのかもしれない。いわゆる気分転換。忘却の別の使い方。別の場所に行けば、忘れてしまうなら、忘れたい事にも使えるかもしれない・・・・

ま。あまりに強い思いは忘れないだろうけど。ちょっとした事なら、場所を変えれば忘れられると思う。忘却と、感じると場所の関係。そこには密接に関わっていたようですね。自分の中ではとってもスッキリしました。では今日は、ここら辺で締めましょうね

忘却は、跳ね返りの変化。場所が変わると感じるモノも変わる。外的なモノと内的なモノが、影響していた

そうか、場所という外的なモノと、感じるという内的なモノが影響してたんだね。それで忘れてしまうのか。外的なモノを元に戻すと、思い出すというのも納得。今日もシックリしました。それじゃ明日ですね

明日は『有料』というタイトルで、経済の存在について考えます

-えすかれーしょん