えすかれーしょん

かきね

哲学・思想

ネットと実生活には垣根を感じるけど、TVには感じないんだよね

<垣根は、多数派、少数派意識の強さ。いずれ、その意識は消え去る。今はその過渡期>

TVと実生活の間には、あまり垣根を感じなくて、ネットには感じる。この違いが気になって仕方がない。探ってみる。ネットと実生活に感じる大きな隔たり、垣根。どうしてそう思わせるのか。ナニが違うのか。個人が楽しむモノだからだろうか。いや、TVも家にあって、個人が楽しんでいる。では、何がそうさせる

ネットもTVも個人で楽しむのは共通。違うのは、ネットは主体が自分。TVはチャンネルは替えられるが、内容はTV局が決める。主体はテレビ局にある。つまり、ネットの方が選択肢が多く、自由度が高い。同時に、ネットの方が同じモノを見ている確率は低い。世間との共有を考えると・・・

世間との共有を考えると、ネットの方が乏しい。テレビの方が、世間と共有している。同じ時間に、同じ内容のモノを共有している確率が高い。それで、垣根を感じない。実生活の中でも、沢山のヒトが共有していれば、垣根として感じない。この垣根として感じない感覚・・・・・・・・

垣根として感じない感覚、これってなんだろう。実生活との垣根。沢山のヒトと共有してると、垣根として感じないって事は。これってつまりは、一般論。TVは見ている人が多いから、一般論で語る事が出来るような気がする。同じTVでも、CSとか地方局になると、一般論では語りにくい。一般論・・・・・

一般論て、話題にする時遠慮しなくても良い感じがするよね。だってみんなが知ってるワケだから。逆に知らない人の方が遠慮する感じ。なんか知らない方が悪いって感じ。みんなと同じだと、堂々としていられて、みんなと違うと遠慮しちゃう。これって、多数派と少数派の違いだよね・・・・

TVだけの時代って、多数派と少数派がいたけど、ネットが出て来て少数派も、沢山出て来たんじゃないかな。TVが多数派でいられたんだけど、もうそれも崩れてきてる。どっちかっていうと、これから少数派の時代が来るのかもしれない。そんな風に思うね。となると、少数派でも遠慮しなくて良いかも・・・・・

共通する話題とかは作りにくいね。でも遠慮もしなくて良い時代。これからそうなっていくのかもしれないね。巨大メディアでなくて、小メディアの乱立。大商いじゃなくて、小商い。遠慮するんじゃなくて、堂々と自分の好きなモノを貫ける時代。少数派が当然だから、垣根なんて要らない・・・・

結局垣根があるって、今までを引きずっているからだね。過渡期だからってコトかもしれない。これからどんどん変わっていく。垣根がどんどん低くなっていく。そんな現象が見られるよ。きっと。世の中って結構変わっていく。今までを引きずりながら少しずつ。この垣根の感覚も、いずれ消えてしまうモノ・・・・

そう考えると、この遠慮する感覚とか、実生活とに感じる垣根の感覚とか、存分に味わっておきたくなるね。多数は少数派で、堂々としたり遠慮したりしなくて良い時代が来る。考えれば、今までずいぶん滑稽な世間との接し方だったのかもしれない。よし、それを今日の結論として、締めましょうかね

垣根は、多数派、少数派意識の強さ。いずれ、その意識は消え去る。今はその過渡期


なるほどね。今は過渡期なんだね。もう少数派でも、遠慮しなくて良いんだ。そんな時代が来るんだ。これ知ってる?みたいな感じで、いつも話が始まるようになるかもしれないね。それだけ多様になる。ツイッターとかを通じて、実生活で交流したりとかが、これから増えるかもしれないね。それじゃ明日です

明日は『忘却』というタイトルで、記憶について考えます。お楽しみに!!

-えすかれーしょん