せいじつ
というタイトルで、テレビについて考えます
バレ
テレビの裏側はバレている。となれば、誠実になる必要がある
ネットの発達で、テレビの裏側がすっかり見えてしまっている
今までは見えなくて分からなかったモノ。ただ、状況や発言をつなぎ合わせれば、答えは見える
さらにはネットの発達で、いろんなこぼれ話が、沢山入る
これで、秘密はあり得ない。テレビ局は隠しているつもりもないだろうが、それなりの気づかいはある
気づかいというのは、スポンサーに対するモノだったり、どっかの団体に対するモノだったり
細かいところまで分かっているかと言えば、それは分からないが
それなりに、透けては見えてくる。さて、その時にテレビ局はどうするべきか
その時に、テレビ局は誠実であるべきでしょう。誠実というのは
つまりはぶっちゃけるってコト
タブーや気づかいは、今まで通りしたいだろうけど、もうバレバレ
あえてぶっちゃけて行くべきでしょう。それが誠実
このテレビ局は、誠実だと感じさせる
ぶっちゃけて、それはしょうがないでしょうと、弁明すればいい
テレビ局といえど、一企業。しょうがないコトは山ほどある
手の内を明かす事は嫌かもしれないが、時代が変わった。ぶっちゃけるしかない
でなければ、信頼を失い続ける。信頼されなくなったテレビは、どうなるだろう
重要なコトは、どこから得るか
もしもテレビが信頼されていれば、重要なコトはテレビから得るハズ
でも、信頼されていなければ、テレビを選ばない
選ばれないというコトは、どういうコトか。選ばれないというのは、存在理由がない事
テレビの存在理由が、無くなってきている。少なくとも、重要な事柄についてはそう言える
テレビは、もっとどうでも良いコトだけに。ただ楽しめるモノだけに、流れて行く
それだけの存在理由になっていく
考えれば、信頼を失うと言うコトは、死活問題
今はその始まりと言える。どれだけ誠実になれるか。どれだけぶっちゃけるコトが出来るか
そこが重要。さて
テレビという存在は、必要だろうか。それとも無用だろうか
一定の意味は残るとは思う。でも、誠実でなければ、存在する理由は弱い
一企業に戻る事。ぶっちゃけて、その手の内を見せるコト。どちらにしろ、そういう状況
もう後戻りは出来ない、時代の変化の中にいる
誠実になり信頼を取り戻せれば、信頼を取り戻せた分だけ、必要性は出る
視聴者は、利用したいと思える。どうするかは、テレビ局次第
恐竜のような、巨大な存在のテレビが生き残るには、視聴者との距離を縮めるコト
ただの企業、ただの労働者、ただの一般人がテレビを作っている。そこに戻るコト
恐竜から、人間に。人間の集合体に
であるならば、テレビは生き残れる
手の内を明かしたあと、またイチから、創意工夫で新たに作りあげる
それが求められている。それが、あるべきカタチ。これからのカタチ
巨大企業のテレビ局と言っても、安泰な時代は終わった。今まで通りは通用しない
それでは、今日はこの辺で。締めるとしましょう
誠実は、ぶっちゃけ。幻想ではなく、現実に。その上でイチから新たに作りあげる。正直に。それはやらなければイケない事
そうか、やらなければイケない事なんだね。今まではしなくても良かったけど、あえて手の内を明かす事をするコトで、信頼される。タレントのいろんな愚痴とか聴いてれば、だいたい分かるからね。誤魔化し続けるのは、マヌケです。信頼されるかマヌケになるかの、分かれ道ってトコでしょうね。ハイそれじゃ明日ですよ
明日は『取り除く』というタイトルで、否定について考えます。お楽しみに!!