ごくらく
というタイトルで、求める世界について考えます
そっちじゃない
求める世界はそっちじゃない。極楽じゃない
本能的に、人は極楽を求める。その幻想を追い続ける
でも、それを本当に求めているのかと言えば、それは怪しい
他に栄誉を求めるという部分もある。この栄誉も、本当に求めているかは怪しい
もし、栄誉を得たり、極楽にいけたとして、その時に何を思うか
おそらく、つまらない。何も無い。そう思う
栄誉を得ても、何も無い。極楽に行けても、つまらない
追い求めていた幻想は、追っているから価値を持っている
実際に辿りついてしまったら、途端に価値を失う
それは、実質的にそれを求めているワケではないから
実質的に求めているのはなんだろう。なぜ、栄誉や極楽に幻想を抱くのだろう
栄誉を求めるから、考える。まず、栄誉は人に認められるというコト
おそらく人に、認められたい欲求があるのだと思う。賞賛され、誉めて貰いたい
その欲求から、栄誉を求める。そう考えて良いように思う
では、極楽を求めるのはどうだろうか。極楽は、不安が取り除かれる所
人はいろんな事に不安になる。なので、不安が取り除かれることを望む
それが、極楽の幻想に繋がるのだと思う。あらゆる不安が無くなれば、ヒトは何もしなくても済む
好き勝手に生きられる。生きる上での全ての重圧から解放されるので、極楽を追い求めるのだと思う
ただ極楽は、快楽ではない。重圧から逃れられるが、その途端に本当に何もしなくなる
何もしなくなると言うのは、死んでいるのと同じ。不安があるから生きられる
重圧があるから、行動がとれる。もしも、あらゆる不安や重圧が無くなったら
おそらくヒトは生きていけない。もし生きていけたとして、何をやっても楽しくはない
楽しいというのは、不安や重圧があって、それと押し合いへし合いしながら感じるモノ
不安や重圧が0になれば、なんの手応えもない。手応えがなければ、意味がない
価値が無い。存在感がない。時間の感覚も分からない。まるで無重力
どうしたらいいのかさえ、見失ってしまう。そんな事になりかねない
幻想としては求めるけど、実際になったら本当につまらない
重要なのは、重圧が丁度良いこと。重圧が強すぎると、辛いだけ
出来れば、楽しめるぐらいの重圧。手応えがあり、やり甲斐がある重圧が好ましい
なかなかそう調整するのは難しいけど、極楽という幻想をただ求めるよりはマシ
あまりに重圧が強いようなら、一端その場を離れる。そこからは手を引く
自分が消化出来る量に、切り分けて、楽しめるように
切り分けて丁度イイ量になれば、楽しむコトが可能
もしも楽しめるコトが出来れば、それは極楽よりも求めていたモノ
本当に求めていたモノ。とすると、極楽は必要無い。必要なのは、自分で調整する能力
自分で、楽しめる範囲に切り分ける能力
それと、栄誉も必要無い。それよりも、普段から人を誉め、賞賛するようにすればいい
それでヒトは満足する。結局解決法って身近にある
身近にあって、誰でも出来るところにある。ただ、無理をしたり、させられたりしていた
そして、自分が求めていながら、他人に与えるコトを怠っていた
自分が求めているモノは、他のヒトも欲しいのだから、与えればいい
与え合い。それって重要。それと自分で切り分けて、調整する能力。この二つ
これがあれば、極楽も栄誉という幻想を追わなくて、済む
無理をして、自分を否定して、他人も否定して、幻想ばかり追っていた
まるで、あべこべな行動をしていた。するべき事とは違うコトで、気を紛らわせていた
遠くのモノを求めなくても、身近で対応出来る。幻想を追わなくても、ほんの近くに全部ある
それを今日の結論としよう。あるもんだね。近い所に
スッキリと言うより、感心。自分で考え進めたコトなんだけどね。感心です。うん。今日はここまで
極楽は、幻想。自分で調整し、他のヒトを賞賛すれば、幻想は見なくて済む。一人のチカラでも、そこそこ対応出来る
そうか、与えあって認め合って、それで無理なく自分で調整すれば、結構楽しくやっていける。世の中の無理させる体質って、全然ダメじゃん!その中に居ちゃ、おかしくなるよ。でも、みんな分かんないんだからしょうがないよね。分かったモンから、ちっとずつやって行こうってコトなんでしょうね。はい。では明日です
明日は『挫折』ってタイトルで、その本質を探りたいと思います。お楽しみに!!