えすかれーしょん

たいだ

哲学・思想

たいだ

というタイトルで、働くについて考えます

意味

怠惰という、働かないという事。その意味を考える

動物を考えてみる。動物というのは、案外のんびりしている

動物によっても異なるのだが、肉食獣などは、さほど働いていないように見える

腹が満たされれば休み。空腹になると狩りに出る

狩りがうまく行くまでは、働き続ける事になるが、狩りが成功すればしばらくお休み

ヒトは働ければ、ずっと働く。勿論遊んだり休んだりもしている

でも、働かないのは罪悪であり、ダメ人間という烙印を社会や自身から押される

人間だけが、何か違う方向で生きている気がする

もちろん野生の動物でも、ずっと泳ぎ続ける魚や、ほとんど寝ない草食獣などもいる

一概に、動物は怠惰だとは言えない。でも怠惰に映るモノも多い

この怠惰。この怠惰な中にも、実は意味があるのではと思う

働かない中にも、意味があるような気がする。なので、そこを探ってみたい

野生の動物の場合。働くとはどういうコトだろうか

働くというのは、食べるコト。そして捕食者から食べられない事

他の動物に食べられないように、草食動物はいつでも警戒しなければいけない

と同時に草食動物は、草や木の葉っぱを食す

そこら辺の動かない植物を食べる。動かないというのは、逃げないというコト

逃げないので食べるコトに関しては、草食動物の方がラクに出来ると言える

逆に肉食動物は、逃げる草食動物を捕まえないといけない

捕まらなければ、自分たちが飢えて死ぬ。なので、必死

ただ、捕まえてしまえば、そのあとはしばらく食べるだけ

空腹がおとずれるまで、しばらくは働かない

それは怠惰にも見える。でも、それも必要なのかもしれない

もしも肉食獣が、捕った獲物を保存出来たとする

それでも、獲物をとり続けていたとしたらどうなるか

獲物はどんどん貯めておける。未来のコトを考えて、獲物を保存しておく

そんな事をしていたら、どういうコトが起きるだろう

おそらく獲り過ぎになる。その個体だけでなく他の肉食獣も保存する

そうすると、対象となる草食動物が減り続ける

肉食動物側からすれば、安心が生まれ、計画も立てられる

が、捕食される方にすれば、たまったモノじゃない

肉食動物の能力のままに狩りが続けば、草食動物の数が激減する

そこで起きるのは、肉食動物同士の争い。食糧を確保する為、殺し合いが起きると考えられる

野生動物は、本来生きる為の争いしかしない。争いには、リスクが伴う。なので無駄な争いは避ける

でも保存出来るようになって、働き続ける事によって、争いが起こる

生きる為の争いではなく、安心を得る為の争い

空腹の争いではなく、より安住を求める為の争い

なんとなく、人間の姿に似てくる。人間も争うが、そのほとんどは空腹の争いではない

これは何かがオカシイ。何がオカシイのだろうか。何か狂っているという感じがする

安住を求めるというのは、当然のコトと思う。それのどこがオカシイのか

野生の動物は、空腹になってから働く。でも、人間は空腹でもないのに働くし、争う

空腹というのは、生き死にに直結。それで、無駄な争いはしない

でも、ヒトは安住を求める。安住というのは、生き死にではなく、その次の段階

充分に生きられて、更にその上を求める行為

そして、その安住というのは際限がない。どこまでいっても、不安はつきまとう

その不安が、ヒトを働かせるのかもしれない。争わせるのかもしれない

安住という、強欲な考えに突き動かされて、働き続けるような気がする

実際、この安住に終わりはない。これで満足という物が存在しない。なのでいつでも不満

そしていつでも不安。不安と不満を抱えながら、ヒトは働き続ける

より、強欲な安住の味を知ってしまったが故に、働く必要性がなくても働き続ける

怠惰が良いとは思わないが、本当に働く必要があるだろうか。争う必要があるのか

リスクが全く無くなる事は、あり得ない。不安が全く無くなる事は、あり得ない

野性に帰れはしないけれど、必要性を考えてもイイのかもしれない

欲張りすぎているのかもしれない。生きるか死ぬかは最低限

最低限の生活。つまり死なない生活とは、どんなモノか

それを定義づけてもイイのかもしれない。それ以上は、余剰分

最低限の定義以上は、豊かさだと言っても良い

そう考えると、我々はとても豊かな世界で生きている。時には怠惰でイイのかもしれない

働きすぎているのかもしれない。それともう一つとても大事なコト

それは、食べる量。実はとても食べ過ぎてるのではないかとも思う

生きる為に、最低限とはどのくらいの量か。これも定めて良いように思う

最低限以上は、豊かさだと言える。これも、ちょっと考えただけでとても豊か

食べ過ぎなのかもしれない。そこまで食べなくても、生きていける

食べ過ぎる事で病気になる。こんな愚かな事はない

野生の肉食動物ではあり得ない、醜態。ヒトは豊かすぎて、とても醜い

最低限を定義したい

すぐには変えられないので、まずは最低限の定義だけ

働く量と、食べる量。そして最低限の保障

生き死にの最低限の保障だけあれば、それなりの安心は得られる

もしもそれ以上を求めれば、それは贅沢。それは強欲

野生動物からはじまって、今日もいろんなコトが分かった

もう少し、ヒトの営みを省みてもイイのかもしれない。というのが今日の結論です。ハイ!

怠惰は、調整。働かないは、獲りすぎないコトに繋がっていた。安住を求めれば、強欲がつきまとう。最低限で、充分

なるほどね。日本では、貧困層でも、贅沢なのかもしれない。そんな事思ってなかったけど、生き死にからは、ほとんどの人が解放されてる。ただ、定義がないので豊かだとは思えない。不安もつきまとうからね。そこを確認するべきでしょう。我々はとても贅沢です。はい。反省。それでは明日ですね

明日は、『モノマネ』というタイトルで、官僚的の本質を考えます。お楽しみに!!

-えすかれーしょん