えすかれーしょん

ずるさ

哲学・思想

ずるさ

というタイトルで、そのメカニズムについて考えます

なぜ

ヒトの狡さとはなんだろう。なぜヒトは狡くなるのか

ヒトは狡い事をする。コレは子供時代から

子供時代からすると言う事は、教わって狡くなるのではないというコト

狡さとはなんなのだろうか

狡さとは、自分が有利になる為にする行動

この時、他のヒトのコトは考えない。他のヒトに不利益が及んでも、自分が有利になればいい

そう考える。それが狡さ

なるほど、狡さとは自分最優先から生まれる行動。とすれば、教えられなくても出来る

ある意味本能的なモノ。みんな自分優先で生きている

子供時代から、それが出来て当然。狡さというのは、ある意味自然な行動

他のヒトが、不利益を被っても構わない。自分には関係ないから

それが狡さというモノ。他のヒトが損をするイコール、自分が得をするという関係式から成り立っている

自分が得をする為には、他のヒトが損をするという考えが、根本にある

確かに、数が決まっている席を奪い合う時には、他のヒトが損をしなければいけない

自分が席を取りたい場合、他のヒトがその席を取れば、自分が獲得出来る確率は低くなる

それで、他のヒトに損をさせて、自分が得をする狡さが生まれる

みんな自分優先にする。ここまでの考えは共通

狡さは、更に考え方を変えて、他のヒトがいかに損をするかを考える

それは思考的には優れた考えでもあり、狡さは賢さにも繋がっていく

確かにそれは否定出来ない。でも、それはあくまで席の数が決まっている場合

席の数が決まっていない場合には、そんな事をする必要は無い

ただ、狡さに慣れてしまうと、いつでもその考えが染みついている

狡さから、抜けられない状態になっている

しかも、席というのは表面的なモノ。もう少し離れた所から見れば、奪い合わなくても良い場合もある

奪い合わなくても良い場合というのは、要素を分けられる場合

分けるコトが出来れば、双方得をする。双方欲しいモノが違うなら、全てをとる必要は無い

何が欲しいのか、双方同じとは限らない。本来は奪い合わなくても、イイのかもしれない

それに世の中は、奪い合いの次の段階がある

大人になれば、その段階にも気づくが、子供の頃は分からない

奪い合いの次の段階があるなんて、考えもしない。でも、ある

それは、整合性。奪えばイイと言うモノではない。争えばイイと言うモノでない

どの立場のヒトが見ても、納得出来る考え。それが整合性

こちらから見たのと、反対側から見たモノとで、別物であったら整合性が保てていない

そんなモノ、誰も納得しない

誰が見ても、納得する考え。それが整合性

大人の社会では、整合性が重要になる

とはいえ、実際には混ざっている。大人の世界は、狡さと整合性がゴチャ混ぜ

なので、まだ過渡期。それで狡さも横行する

狡い方が、有利という考え方も成立してしまう

あとは、精神性の高さ。自己の行動を、どこまで制御出来るか

整合性と、狡さとがある中で、どっちをとるか。どっちのパターンで行くか

それはそのヒト次第

自分が整合性を求めるモノは、狡い行動は恥ずかしくて出来ない

自分を裏切るコトは出来無い。なので、自分の心に反しない行動を

自分で決める。ヒトから言われて、変えるモノでもない

なぜなら決まっていない。自分がその時その時で判断する。何も決まっていない

自分の行動は自分で決める。その行動に対しての責任も自分でとる

全ては、自分の責任

それが、そのヒトそれぞれの生き様ってコトでしょうね。ハイ

狡さは、自分優先。他人に損をさせる考え。賢くもあるが、愚かでもある。自分で決めてイイ、生き様

そっかそっか。生き様だよな。狡くなんてなりたくないもんね。出来る限り、多くのヒトが得をした方がイイ。その為に頭は使いたいよね。結局狡さって自分だけのモノだから、範囲が小さい。小者なんだよね。それがイヤだよね。そうはなりたくない。 でも知らず知らずにね・・・・それは気をつけたいです。はい。それじゃ明日ですが

明日は『お旦』というタイトルで、利害関係について考えます。お楽しみ!!

-えすかれーしょん