えすかれーしょん

ふくし

ふくし

というタイトルで、普段の意識について考えます

普段

普段から、福祉の意識でいるのは難しい

自分の中で、本物でないからだろうか

普段の生活に押されて、手が回らない状態

もし、突然自分のチカラが必要になった時、とっさに動けるだろうか

おそらく何かしなくてはと思いながら、何も出来無い

もしも自分が、その役目ならば動ける。役目を受けていれば、とっさでも動ける

でも、なんの役目もない状態だと動けない。その意識が無いのだと思う

自分の生活の中に、無い。どうしてだろう

もしかすると、区別している。日常と福祉を、区別しているのかもしれない

福祉が日常の中にあれば、とっさでも動ける

とっさで動けないというコトは、福祉と日常が分けられているから

そう言われると、確かにそうかもしれない。少し遠い場所での話で、自分のコトとして考えられない

それで、とっさに動けないのかもしれない

コレは簡単な話。区別している日常と福祉を、同じ領域に入れ込めばいい

それで、とっさの場合でも動けるようになる

では、その為にはどうすればいいのか。実際問題として

実際問題、距離が開いているので、それを縮めないといけない

普段から、逃げずに率先して近づくように

そう考えると、正直面倒。そんな気持ちが湧き上がってくる

そうか、自分は面倒だと思っていた。それで区別をしていた

なるほど、他人事にすれば、面倒なコトをしなくて済む

認めたくはないけど、自分は福祉から逃げていたのか

そんな人間が、とっさに動ける筈もない。気持ちはあるけど、実際には動きたくない

我ながらこれは狡いと思う。自分というのは、実はとても狡い存在。そんな事を認識

もうちょと、自分はまともだと思っていたけど、違ったみたい

そして、福祉なんて言って良く見せようともしている。困ったもんだね

福祉は、自分を良く見せようとする行為じゃないのに。まったく

福祉なんて言う資格もないし、それ以前の覚悟もない

それでは、距離を縮めるコトも出来無い。気持ちがあるのは確かだけど、実際までは距離がある

そうか、気持ちがあってもそれはスタートであって、実際動くにはまだ、圧倒的に足りないのか

実際に動くには、いろんなモノを背負い込む覚悟、それがいる

そのあと何が出来るのか、自分の出来るコトの確認もある

そんな段階をいくつか踏んで、とっさでも動けるようになる

そこまでいって、本当の福祉か

これは、福祉に限らずいろんなモノの行動も、そうかもしれない

気持ちはあくまでスタートであって、キッチリとした覚悟が必要

その覚悟がないままでは動けない。厳しいけど、気持ちのままじゃダメなんだよね

それじゃ、無いのと同じ。その中に飛び込む覚悟。それとセットで

これは自分への反省。今日も、いろいろ勉強になった

自分の中の整理。ぼやけていたモノが、シッカリとした像を結ぶ

そうなった時、自分が反省しないといけないコトになるんだけど。それはそれで良しですな

うん。覚悟を持って、取り組みますか

福祉は、覚悟。覚悟をもって、その中に飛び込む。それで日常。区別している間は、ゼロなんだね

そうか、結局どれだけ日常に出来るかなんだな。いろんなモノは、日常の中に入れるモノで、区別するモノじゃない。区別するモノは、覚悟をもって日常に入れ込まないと。区別の壁って、大きいのかも。そこは乗り越えないとな。はい。今日は反省モードだ。よし、じゃあ明日は

明日は『踊り』というタイトルで、それが意味するモノについて考えます。お楽しみに!!

-えすかれーしょん