えすかれーしょん

ようご

ようご

というタイトルで、言葉の注意する事について考えます

コンパクト

用語は、折りたたまれてコンパクトになっている

本来は、これがこうなって、こうなって、こうなっている物

という風に、意味と意味が繋がっている、概念

その概念に名前を付けて、コンパクトにしたのが用語になる

いちいち、アレがこうなって、こう使ってなどの説明はない。説明が無い分だけコンパクト

コンパクトなので、時間が短縮できる。長々と説明しないで、スッキリとする

ただ、用語だけで通じるのは、使い慣れている人同士のみ

もしも、その用語を知らない、もしくは慣れていない人にとっては、まるでなんなのか分からない

とてもついて行けないという、現象が起こってしまう

どうしてそうなってしまうのかといえば、用語はただの名前だから

ただの名前というのは、音声や文字という記号に過ぎない

慣れている者同士ならば、すぐにそれが指し示している意味も分かる

でも、知らなかったり慣れていないと、意味が出て来てくれない。それでついて行けなくなる

用語というのは、ただの名前で、その名前を元に概念を呼び出す行為をしている

記憶の中から、概念が呼び出される

アレがこうなって、それがこれとこうなって、というような概念

慣れている人同士なら、説明が必要無く用語だけで足りる

用語だけの方が、コンパクトでスッキリする。が、いちいち記憶から呼び出してもいる

つまり閉じている本を開くようなモノ。なので、用語ばかりのヒトの話はとても疲れる

しかもそれが何を指し示しているのか、特定の段階で混乱もする

用語が指し示すモノが、一つであればラクなのだが、そうとは限らない

用語自体に幅があって、いろんな意味を含んでしまう場合もある

しかも、似たような用語と区別がつかなかったりもして、それが混乱を引き起こす

用語ばかり使うヒトの話は、実はとてもまどろっこしい

そして、最終的に話が終わった時に、なんだったんだろうと疑問が涌いてきたりもする

用語ばかり使って、とても話が浅い。結局自分の言葉で話していないから、そうなってしまう

用語は自分の言葉ではなく、借り物の言葉。誰かが作ったモノを、借りているだけ

その上で、ただ知識のひけらかし。それで終わって、なんの主張もなかったりするからたまらない

なんの主張も、考えもない話を聴かされて、なんだったんだろうと疑問が涌くのも当然

中身の無い話を、聞かされる方はたまったモンじゃない

用語を使うのは、コンパクトでスッキリするが、それ自体とても不親切なモノ

全く使うなとは言わないけれど、あまり使いすぎるのは、分かり難いだけと言える

分かり難くならないように、説明をちゃんと加える

用語自体が、説明を省いたモノ。その分コンパクトになっているモノ

なのであえて説明を加えて、分かりやすさを追求する事も、必要と思う

用語というのは便利なモノだが、場合によっては、落とし穴もある

状況に合わせて、使う量を控えたり、説明を増やす事を心がけたい

用語は、コンパクト。そして不親切でもある。用語に頼らず、自分の言葉で、が本質。用語の落とし穴を意識して使いたい

そうだよね。用語ばっかり使うヒトの話って、ホントわかんないし、不親切。自己満足で、用語とか使われると大迷惑だよね。で、用語分からないのが悪いみたいな感じに持っていく。これ最悪。自分もそうならないように、気をつけたいね。うん

そいじゃ明日。明日は『建造物』というタイトルで、印象について考えます。お楽しみに!!

-えすかれーしょん