ゆたかさ
というタイトルで、数日前に『現代性』で出て来た事を、掘り下げてみます
多元的に
『現代性』の中で出て来た、多元的な豊かさ。それを掘り下げてみたい
モノだけの豊かさではない。『現代性』の中では、そう言う方向に話が進んだ
まず、自国のヒトが豊かになる為に、働く
でも、自国が豊かになったら、そのあとは行き詰まってしまう
なので、自国が豊かになったらならば、次はまだ豊かでない国を豊かにする
『現代性』では、そんな結論に辿りつく
その上で、豊かさは物だけではなく、考え方や心の在り方も入るのではないかと、展開していった
正直、そのあとの掘り下げはなされないまま、なんとなく終わってしまったので、今日はその続き
物では豊かになったので、そのあとその他の豊かさというのを、探って行きたい
さて、物以外の豊かさとは、何があるだろう
豊かさ自体は、人が求めるモノ。物の豊かさは、より安定する為のモノかもしれない
人は、安定して生きられるコトを望んでいる
豊かさは、不安があってそれを解消するモノ。逆から考えると、そう言えるのかもしれない
では、不安とはなんだろう。人の不安とは、まず死ぬコト
みんな生きていたいと思う。なので、死に繋がるモノは全て不安になる
例えば飢え、病気、災害、事故、犯罪、火災など
考えてみると、人の不安は多い。それだけ死に直結する要素も多いというコト
それ以外の不安はどうだろう。社会の中での孤立。そして人の裏切り
さらには、愛する人を失うコトなど。人との関係というのも、不安の要素だと言える
他人は、自分との関係の中で重要。自分は他人に依存している。なので、その存在を失いたくはない
それも不安。ヒトに対しての不安を解消する為には、どうすればいいのだろう
不安を解消する事が、豊かさであるならそれで豊かになれる
ただ、残念だけどヒトの行動は自由だし、人の寿命もコントロール出来ない
その点で言うと、人が絶対裏切らないとか、愛する人を絶対失わないって言う方法は存在しない
だとすると、その点での豊かさというのは存在しないのだろうか
これは、おそらく考え方の問題。少し宗教じみてくるが、人に裏切られる事をある程度想定
その上で、それでもヒトを信じられるか。裏切られても、そのヒトを恨まずにいられるか
そう言った考え方が、豊かさに繋がる。どうしても裏切られれば、人を恨んでしまう
そして人を信じられなくなる。なので、とても不安になるが、それは考え方で救われる
裏切られてなお人を信じ、人を恨まない。事前にそう決意しておけば、その不安から解消される
愛する人を失う場合も、失った人に恥ずかしくない生き方を自分がする
依存から脱却して、自分で生きてみる。これは状態によっては不可能な場合も
その場合は、その場合で依存ではなく、その不安定な中で生きるコトを、学びとする
学びと考えれば、ひとつひとつが試験のような物。それを乗り越えるコトに、意味が出てくる
意味が出てくるので、それは不安ではない。不安は、自分では手に負えない存在
学びとして、意味を付けていけば、手に負えない存在ではなくなる。それで不安は解消
こう考えると、人の不安を解消する考え方というのは、宗教
宗教というのは、人が豊かになる為に、存在している。そう言って良いような気がする
実際の宗教でなくても、宗教的な要素。それは必要かもしれない。それで豊かに生きられる
まさか、結論として、宗教に辿りついてしまうとは思わなかった
ただ、宗教は依存である場合が多い。それでは台無しになってしまう
仕方のない場合もあるだろうが、ほとんどの場合は宗教に依存してはいけない
依存しないで、宗教的要素。あくまで不安を取り除く為の、自分に突きつけられる考え方
それが必要に思う。それで豊かに生きられるように、なるのだと思う
まさか物以外の豊かさが、宗教的要素の考え方とは。ハイ
豊かさは、不安の解消。いろんな不安があり、それを乗り越える智慧。それが豊かさ。最終的には自己に、突きつけられもするみたい
そうか、豊かさって、最終的に自分に突きつけられるんだねぇ。考え方一つで、いろいろ変わるからね。確かに智慧だと思う。人が生きていく中で不安も大きいから、その為の智慧も沢山必要って事なんじゃないでしょうか。うん
それじゃ明日です。『安心材料』ってタイトルで、ダメな所について考えます。お楽しみに!!