えすかれーしょん

むくわれない

むくわれない

というタイトルで、プライドについて書いてみます

なぜ

なぜ、報われないか。おそらくそれを、自分のプライドにして良い

なぜ報われないか。この答えを簡単に示すとすれば、自分で決めているから

もっといえば、自分で報われないコトを望んでいる

おそらくは、まだその時では無い。報われるなどいう事は、終わりを意味する

まだ、終わりじゃない。それを示しているのだと思う

すこしまどろっこしい、言い回しになってしまったが、つまりは報われない方が得る事が多い

得る事が多いので、まだ得る時。報われる時は、良い気持ちにはなれるが、さほど得られない

ここら辺は、とても皮肉なのだが、うまく行かない時に蓄積されている

自分の中に、蓄積されている時期。そう言える

報われない時に、成長していると言い換えても良い

報われない時期には、人の痛みが分かるようになるタイミングでもある

経験しなければ、本当の意味で人の痛みは分からない

経験する事で、人の痛みが分かるようになっていく

とすれば、報われない時期というのは、とても大切な時間

自分でそうなる事を決めている、もしくは望んでいる。そう考えても良いように思う

それだけ、沢山のモノを得ている。蓄積している

人の痛みも分かるようになるので、それは他のヒトにとってもプラス。自分にとってもプラス

とするならば、報われない状態というのは、誇っても良いコト

自分のプライドにして良いコト。自分がどれだけ報われなかったか

報われなかっただけ、自分のプライドは高まっている

隠すコトではなくて、前面に出してイイ。それだけ蓄積された。得られたワケだから

報われてる人は、大したことない。報われる経験も大切だが、大して得られない

報われてる時は、さほど成長していない。なので、そんなに見せびらかす事でもない

世の中は、ホントにヘンテコに出来ている

本来隠すべきモノを見せびらかし、本来誇るべきモノを隠している

なんでこんなヘンテコなのか

報われない時に、蓄積され成長しているという事がわかると、何か不具合が生じるのだろうか

たしかに、多少都合が悪いかもしれない

都合が悪いというのは、作為的になってしまう

作為的になってしまうと、これだけ苦労したんだからその見返りとして、これだけ蓄積されている筈

などという、計算が働いてしまうようになる。これでは、純粋ではなくなってしまう

見返りを求めるようでは、本当の成長ではない。本当の蓄積でもない

学びとしても、中途半端になってしまう。これは避けなければならない

とするならば、本物にする為に、苦しむ必要がある

見返りが計算できないように、保障を無くす必要がある

これは本当に苦しいが、本物にする為には仕方がないのだろう

苦しみの中にしか、成長はない。かといって苦しめば成長するという、保障があるワケでもない

藻掻きながら、努力をし鍛錬していく。反省して、許しを覚えていく

おそらくその苦しい道を、歩いている。それを望んで、自分で決めている

安易に報われては台無し。報われないまま、生きていく。それで成長していける

人生って、そんな感じじゃないでしょうか

報われないは、プライド。蓄積され、成長している。表には出てこないが、実になっている。経験して、蓄積するコレクション

そうか、ひとつひとつ意味があるんだね。報われないと、不幸だと思うけど、それを乗り越える方向に進み出せば、成長できる。光が当たるようなモノじゃないけど、その時が大切なんだね。苦しいよね。イヤだよね。それでも、受け入れて生きていこうって・・・。人生って大変だ

明日は、『豊かさ』というタイトルで、数日前の『現代性』に出て来た事を、掘り下げてみます。お楽しみに!!

-えすかれーしょん