ふとまき
というタイトルで、日々について考えます
生活
日々の生活の中で、いろんなコトが起こり、それが巻かれて太巻き
毎日同じようなコトが起こる
その蓄積の延長線上で、または急に、思いもよらない事が巻かれる
その太巻きを、どうするか
本物の太巻きであるなら、3分もしないでペロリと食べてしまうでしょ
でも、出来事の太巻きって、何日も掛かる
それをまともに片付けるのに、ヘタをすると何年も掛かっていく
それはとてもマヌケな状態。ヒトの生活では、何年も出来事の片付けに費やしてしまう
片付かない間は、ずっと悶々とした日々。イマイチな感じを持ちつつ、過ごさないとイケない
やっとこさそれが消化できた時、そこでノウハウが出来る
ノウハウが出来ると、次からはさほど時間がかからず、同じ結果を出せる
同じ結果か、それ以上の結果に導ける
そうやって、ヒトの世界は少しずつ、ノウハウを蓄積してきた
太巻きのような、日々との格闘。悶々として、イマイチな毎日
そんな毎日をくり返して、やっと辿りついた答えがノウハウ
先人達のその恩恵を、私たちは受けている
次の世代は、私たち世代が残したノウハウも、引き継いでいく
悶々とした、マヌケとも思える日々が生み出した、この素晴らしい世の中
何も進まないような、何も変わらないような、マヌケな日々
それでイイのかもしれない。それが、いずれ花として咲いてくれる
長い時間かけた、悶々とした日々は裏切らない
自分の今の生活が、とてもマヌケに思えてもそれでイイのかもしれない
昨日も今日も何も出来無かった。大した成果は、何もあげられなかった
そんなマヌケな日々で良い。一日や二日で、結果が出るモノばかりじゃない
尺の感覚を見直す時期かも
結果を出すのに、急ぎすぎかもしれない。そうじゃないとイケないという、思い込みかもしれない
もともと、とても時間がかかる作業。最近の高速化で、その感覚が上書きされているのかも
そんなに早く答えなんかでない。答えが出なくても、マヌケじゃない
マヌケと思い込むコト自体が、実体とかけ離れてしまっている事を、あらわしているのかもしれない
なんにもない今日は、なんにもなくない。それなりに得ている
もっと長期的な思考で、イイのかも
長期的って、何世代にも渡るぐらいね。何世代にも渡るってコトは、ジョジョ的な
ジョジョの奇妙な冒険的にね。何世代にも渡って考えれば、今日という一日はそこそこで良い
自分の出来るコトは限られてる。更に今日の一日で出来るコトも、限られてる
今日が不毛な一日であっても、しょうがない
といっても、怠けて良いってコトじゃないので。その点は注意
やるだけやっても、結果が出ない。それで良いってコト。そんなモノだってコト
太巻きのように、巻かれていろんな出来事が起こる。それが片付けられなくても、そんなモノ
試行錯誤の連続で、人の世は出来てる
結果は、そう簡単に出てくれないモノ。世代を超えた長期的視野も、持ち合わせたいね
太巻きは、課題。ヒトの課題は、長期的なモノも存在。得ていないようで得ている。焦りは禁物
そうなんだよね。焦ってばっかりだよね。焦るコトで、何も解決しないんだけど。ヒトも自分も責めたりして。短期的に解決するモノもある一方、長期的にしか解決出来無いモノもある。自分もそんな物事に合わせて、生き方の調整も必要かも。それで無駄に、凹む事が無くなるでしょ。うんうん
そいじゃ明日!!『もたらす』ってタイトルで、表現について考えます。お楽しみに!!