かちある
というタイトルで、失敗のあとについて考えます
くり返さない
くり返さないコトで、価値ある失敗に出来る
もしも同じ失敗をくり返すとしたら
それはその前の失敗が、無駄で価値の無いモノになる
ヒトは沢山間違いをくり返す
たとえば、命を失う事
何度も何度も、同じコトで命を失えば、失われた命は無価値になる
命を失っても、それがなんの教訓にもなっていない
全く同じコトで、命を失う
本来、失われた命は価値のあるモノにしなければ
本当は、命が失われる前に、なんとかしたい
でも、ヒトってやっちゃうんだよね
勇ましいってゆうの。無謀な事好きでしょ。だからね、死んでしまうワケよ
で、その次から同じコトでの死が無くなるなら、失われた命は価値あるモノになる
でも、くり返すんだよね。そこから抜け出せない
死というモノは日常的に存在してる。だから、軽くなってるのかも
しかも、自分は大丈夫って思ってる。死ぬヤツがマヌケだってね
それで実際、同じコトで死んじゃうんだから、やっぱりマヌケなんだろうけど
もしかしたら死ぬかもしれない。そう思っているヒトは、死なないで済む
死ななければ、失われた命は、価値あるモノに
でもやっぱり自分だけは大丈夫。っていう、自分だけは病
これは恐ろしいね。生きてる人間にとって、死んだ人間と自分が同じと思うコトは、難しいのかな
それで、自分だけは病にもなるし、死んだヤツはマヌケにもなる
みんな同じなんだよね。失わなくて良い命。生きていて良かった命
せめてね、同じ死をくり返さないってコトが、失われた命の価値を上げるのに
なじり続ける
価値を下げ続けるでしょ。それだけが悲しい
命を失うというのは、失敗だから、そうならないように何らかの変化をさせないと
価値あるモノに。その為には未来である今を変えないと。無駄にしちゃうでしょ
報われるモノも、報われないよ
これからも、多分失敗はくり返される。命は失われ続ける
それは仕方のないコトかもしれない。それもそのヒトの、選択かもしれない
でも、もったいないのはもったいない
見本があるのに。なんで見本を踏みつけるんだろう
過去には、良い見本も悪い見本もある。過去は今と別物じゃない
まるで同じではないが、別物でもない
見本を見た上で、どうするか。失われた死が価値あるモノにするために、どうするか
全て自分達に、かかっている。さて、どうすればいい
価値あるは、教訓。それだけの代償が、支払われている。無視してくり返すのは、マヌケ。見本はあるんだから
そうだよね。過去って見本なんだよね。それなのに、同じ失敗くり返すようだと、どうしようもない。過去から何を学ぶか。その前提は、同じ人間がしてきたって意識。同じ人間がしてきた事実が、歴史だから。歴史に学ぶって、試されてるコトじゃないかな。いま、どう生きればいい?試されてる。うん
では、明日ですよ。『妨げ』っていうタイトルで、経済活動について考えます。お楽しみに!!