ふへんせい
というタイトルで、ベタについて考えてみます
究極
ベタの究極に、普遍性があるのかも
お約束とか、ベタとか言われるモノ。これって、典型
ありきたりの方法で、使い古されてる。新しいモノを模索する人は、絶対使わないね
でも、このベタって言う典型。この先に普遍性って、あるんじゃないの
いやね、それ以上ない、すごいモノってあるでしょ。もう完璧で揺らがないっていう
そのそれ以上なくて、揺らがない状態ってベタの先にあるような感じがする
ベタから離れた所を、どんなに探しても見つからない
離れた方がイイ物があるハズ。離れる程、良いハズでしょ
でも違う。離れても、遠ざかるだけ
完璧で揺るがないモノって、ベタの中。典型のその中にある
離れちゃイケない。遠くではなく、より内側に。そこに内在してる
どうしても、遠くを探そうとしてしまうが、近場でイイ。内在してるモノでイイ
求めるモノは、案外近くにある。でも見える所ではなく、内側。奥の奥
結局典型と言っても、それなりに嗅ぎつけている
嗅ぎつけて周辺までは、いってる。それでベタになってる
そう考えると頷けるコトも多い。ベタになる理由も、そこに答えが内包されてるからで良いんじゃないかな
ベタをさらに掘り起こす。ベタをただマネするなんて、とんでもない間違いだからね
あくまでさらに深く掘り起こして、要素を抽出
それをしているうちに、普遍に出逢う。それは揺らがない完璧なモノ
揺らがないと言っても、不自由なモノなんかじゃない。とても自由なモノ
普遍性の所まで行き着けば、それはとても自由。そして広がってもいる
とても不思議だけど。内側に向かうほど、本当は狭くなるハズなのに
実際どんどん狭くなるのだけど、普遍性の所まで行くと、広い世界になる
これって、どういうコトかって言うと、作り物じゃない。考えて作ったギクシャクしたモノじゃない
それは不自然じゃなく自然。だから揺らがないし、それ以上がない
どこも無理がない、継ぎ目もない、余計な力も入らない。ただ心地良いだけ
なので、解放される。それまでのモノから、解放されて自由になれる
ベタの中に隠されている、それ以上ない普遍性
そこを求めていった方が、早道。世界は、外側にも内側にも広がってる
ベタをマネただけでは、辿りつかない。かといって、離れて探しても見つからない
ベタのその奥へ。さらに奥へ
まさかの所に、最高のモノは隠されてるワケだね
普遍性は、自由。ベタの奥の奥にあって、とても自然。揺らがない、それ以上ないモノ。答えは奥に
いや〜。ベタってだけで、敬遠してたけどそれって間違いだったのかも。ベタの中に隠されてるなんてね。全くの盲点でしょ。でもベタから、確かに落ち着くモノとか、安定感は感じてたんだよね。なので、そこに答えがあっても不思議じゃない。そういうコトなんでしょうね
さて、明日は『回転』ってタイトルで、宇宙でとかその他いろいろな回転を、考えてみますよ。お楽しみに!!