えすかれーしょん

だんぜつ

だんぜつ

というタイトルで、両極について考えます

繫ぐ

両極に断絶。それを繫ぐのが、仕事

さてさて、相変わらず分かり辛い出だしで始まったワケですけど

両極って、極端から極端のコト

真逆である極を繋げるというのは、どういうコトだろう

コレって私の仮説。その両極のモノが、元は一つだったんじゃないかってコト

決して別物ではなくて、元は一つ

元が一つだったモノが、どうして別れたのか。別れるコトで、生まれるコトがあるから

別れると、そこにエネルギーが生まれる。不安定だから

その不安定さって、エネルギー

一つであれば、安定して何も動かない。でも、別れるからエネルギーを生じる

それはまるで、意図しているみたい

極と極。例えばピカソは、子供の絵にそれを見た

一つの方向性から、真逆に舞い戻ったのだと思う

ピカソは、両極を繋げた。それこそ人の、するべき仕事のように思う

両極のまま存在しながらも、それを繋げていく

別物ではなく、元は一つのモノ

信じがたいけれど、おそらく両極にあるモノは元は一つ

断絶を融合させた時、新たな価値が生まれる

極と、極。そしてその間のモノ。さらには融合したモノも、手に出来る

一つのモノを、分けなければイケなかった。分けなければ何も始まらなかった

それが別れるコトで、全てが始まり、動き出す事が出来た

そのままでもイイように思うが、それでは離ればなれ

断絶して、それぞれを駆逐しかねない

駆逐する為に、断絶したワケではない。あくまで始まる為に、別れただけ

それを繋げる。その仕事をするのは、誰だろう

それは人だと思う。駆逐し合うのではなく、極と極を繋げる

全ての物事にある極と極。それは元々一つ。それを繋げるのが、人の役目

とても抽象的な表現になってしまったので、分かり難いかもしれない

でも、それが究極の姿だと思う。どう考えても繋がらなさそうなモノ達

コレをどう繋げるのか。この断絶をどう、繋げていくのかを考えるだけでも、意味がある

絡め取り、巻き付けて繋げた時、何が起こるか

それは寛容であり、広がり。繋げるコトが出来たなら、おそらく世界はもっと広がる

どうも偏りすぎたモノに気を取られて、狭い世界で生きているような気がする

コレが、両極の断絶を繋げるコトが出来るのならば、世界の全てを知るコトが出来る

まだ一部でしか、人って生きていないのかもしれない。本当は、世界はもっと広がっている

断絶した世界を繋げるのは、簡単じゃない。寛容と、共感の二つが要る

でもそれが出来たならば、あらゆる物事は、今まで見えなかった姿を見せてくれる

断絶を繋げるのは、特別なコト。人にしか出来ない

人として、両極を繋げる。その為の手段をつくり出せるのって、素晴らしいと思う

どうすれば繋がるだろう。それって究極で、永遠に近いテーマ

断絶は、始まり。争う為に、別れてはいない。それを繋げるのが、人の叡智。人のチカラは、断絶を繋げる為にある

とても抽象的だけど、あらゆるモノの両極って、実は一つだったんじゃないかと。それを繋げるって、壮大な考えだけど、とても面白いと思うんだよね。お互い駆逐し合うような存在を、繋げちゃうから。具体的にどうするかというのは、まだ分からないけど。きっときっと、いずれそうなる。そんな予感ってコトですかね。ハイ。

それじゃ明日です。『未消化』ってタイトルで、知識について考えてみます。お楽しみに!

-えすかれーしょん