えすかれーしょん

ちゅうしん

ちゅうしん

というタイトルで、闇について考えてみますよ

問題

問題の中心にある、黒い闇。考えるほどに、その闇が浮かび上がる

闇とはなんだろう

問題を突き止めようとするほどに、何か薄気味の悪い闇を感じるんだよね

問題なんだから、何らかの闇があってもおかしくない。でもそういうコトじゃなくて

もっと違う闇を、感じる。考えれば、考えるほどにその闇が大きくなっていくワケ

で、最終的にその闇の正体が分かる

まさかと思うし、認めたくもない。それでも、その正体は紛れもないし、動かしようのない現実

考えれば考えるほど、その闇は、自分であるコトが多い

正確に言うと、自分の中にも同じ要素があるってコト

でも、自分は一番正しい所に置きたい。安全圏に置きたいから、そんな可能性すら考えもしない

考えないから、闇になる。自分という聖域が、闇となって不自然さを感じさせてる

もしも少しでも、問題を引き起こす要素が自分に近づいたなら、そこには蓋を

自分の中に、そんな要素があるハズない。それだけは絶対

自分の周りだけ、キレイに切り取られて、原因追及をしている

闇というのは、自分に被るコトのないように、避ける事によって生まれる

極力リスクは避けたい。自分という存在は、そこに含ませたくはない

それで無責任になる

自分が含まれないワケだから、無責任にもなるし、残酷にもなれる

みんなそれをやる。なのでとても歪で、感情的な罵り合いになる

それは核心からも遠く、浅いやり取り。でも、本当は自分の中にもある

その問題を生み出す、原因となるモノって、自分の中にもあるんだよね

嫌だし、恥ずかしいコトだけど、確かに存在してる

原因そのモノでなくても、間接的でも、自分の中に

だいたい問題を起こす闇は、決まっていて

とても無責任な行動をとった時や、逃避

ヒトの社会では、その無責任な行動や、逃避が闇になる

どっちも無責任。何も考えてない。やるべきコトを果たしてない

その結果、問題として表面化する。社会のいろんな所で、よくあるコト

いろんな形で、存在

さらに、それを誤魔化そうとするから、社会の中でも闇になる

闇を誤魔化そうとして、さらに深い闇になる

でも闇って、基本は自分。自分の中のモノ。無責任さ。他人事

人って、自分のコトとして考えないと、粗暴になる。残酷になる。恥ずかしい行動をとる

さらにそれを誤魔化そうとして、逃避する。それも闇になる

無限のループ。自分のコトとしない限りは、ずっとついて回る課題

あらゆるコトは、自分のコトとして見るしかない

自分のコトとして見れば、残酷にはならないし、慎重にもなる

無責任な行動も、するべき事を放棄する逃避も、出来ない

そこで、ループを止めるコトが出来る。ループを止めなければ

闇はうねりとなって、グルグル回ってループするだけ

それは日常的に転がっている。自分の中にも、広がっている

聖域を崩壊させ、自分のコトとして全て捉えるコトが出来るか

それを突きつけられている。コレはいつでも、そして誰でも

闇を打ち払わない限り、本当の解決はあり得ない。行き着く先は、自分の中

とても苦しい。とても辛い、行動。でもそれのみが、ループから抜ける道

誰もが乗り越えなければイケない、課題。人が次の段階になる、ハードルかもしれない

中心は、闇。自分がいて、他人事にして逃げてた。ループして当然。答えは自分の中に

自分て可愛いから、なかなか踏み込めないよね。良い方ならいいけど、悪い方となると避けたくなる。でもその避ける行為が、闇を生んじゃう。一番マズイのは、他人事にするコトみたい。結構ヒドイ行動になる。逆に全部自分の事にすれば、良いんでしょうね。あらゆるコトを、自分のコトとしますか。大変だけどね

じゃ、明日です。『断絶』というテーマで、人の向かう道について考えてみます。お楽しみに!

-えすかれーしょん