あくせす
というタイトルで、意識について考えてみます
体に
体を動かすコトで、アクセス出来る。意識と体にアクセス
意識は体をコントロールする為の、コントローラーでして
意識自体は、イメージの産物。実体があると思ってしまうが、意識に実体など無いってのがホントの所
体を動かすコトで、イメージ化されていく。蓄積されるワケだね
ただ、意識自体は自分の中で可視化されてない。なので、イメージと言っても見えるモノじゃないよ
見えないけれど、確かにある。それが意識
それで、その意識は体を動かすコトによって、構成されていく
体との対話だね。それによって、より実感を帯びた存在となる
あまり体を動かさなかったり、体との対話を怠ると、体自体に実感が湧かない
つまり、運動神経が無いって状態
運動神経が無いって言うのは、実際の神経より、意識と繋がっていないってのがホントみたい
あまり体とアクセスしないせいで、意識がコントローラーとして、機能してないんだね
体を動かすコトで、意識が体と再会。何度も会う事で、隅々の微妙な所まで感覚化
微妙なコントロールが、可能になるってコト
逆に動かさないと、曖昧になるでしょ。もともとイメージだからね。曖昧になり易い
意識は、ソフトウェアなのかな。他のハードが機能して、情報として書かれるソフトウェア
何度もハードとアクセスする事で、ソフトウェアとしての品質も向上される
毎回毎回アップデートされているなら、最新の情報で動かせる
体の状況も、その時によって違うから、動かしながらのアップデートって、重要でしょう
確認して、上書き。確認して、上書きだね
意識って、体のいろんな機能に乗っかった、ソフトウェア
コントロールしているけど、その土台は体の各部署なんだろうな
であるのなら、いつでも各部署と対話するように、動かしてアップデートでしょ
動かしながら確認して、どう行動していくかって
もしくは、意識して体に負荷をかけて、ハードも強化していく
意識と体双方を、アクセスしながら鍛えていく
だからね、普段からの体と意識の対話って、大切だってコトなのよね
あんまり体を甘やかすと、良くないってコトです。ハイ
アクセスは、強化。体と意識の結びつきを、より強力にしていく。人って、動く生き物。動かないとおかしくなるね
そうだよね。でも、この季節はだるくて動きたくない。でも動かないとなぁ。体がおかしくなる。おかしくならないように、対話しながら無理なく動かして、アップデートってコトでしょうか。さて明日です。『合わせる』ってタイトルで、困難な入り口のコトを考えます