えすかれーしょん

じょうねつ

じょうねつ

というタイトルで、得意なモノについて考えてみます

湧くモノ

情熱が湧くモノと、そうじゃないものがある。そこにある差を突き詰めてみたい

自分が得意なモノには、情熱が持てるモノは多い

全てではないけど、その傾向はある。苦手なモノには、情熱は持てない

苦手なモノは、なかなか情熱を持てない。そこら辺に、答えが隠されている気がする

苦手で不得意なモノ。その不得意なモノになぜ、情熱は持てないのか

情熱の熱。この熱というモノが、不得意なモノでは出てきてくれない

熱というモノは、一体何なのだろう

熱は、強く繋がれば繋がるほど、その勢いを増す

意識の糸は、情熱が高まるほどその本数を増し、強く強く結びついていく

これはあくまでもイメージだが、意識は糸状に伸びていくような気がする

その糸が伸びるかどうか。好きなモノには沢山出る

でも嫌いなモノには、一本も出ない。なるほど、苦手で不得意なモノに、情熱が持てないのも頷ける

知らず知らずのうちに、モノに対して、意識の糸が伸びているのかもしれない

その意識の糸のコトを興味といい、その興味の結びつきが一定を越えると、情熱になる

とすると、意識はモノを選り好みしている。選り好みは個性に関係

個として、どんなモノに興味を持つか。その意識の伸ばし方の違いが、個性であり豊かさにもなる

モノに対して、執着して、情熱を持って強く結びつく

モノと触れる事に、悦びになり、歓喜に変わっていく

ヒトの持つ、重要な機能の一つと言ってもイイだろう

自分が好きなモノに、情熱を持って深く知りたいと、いつまでも結びついていたいと願う

どのものに情熱を持つかって、役割分担て言えるかもしれない

ただ、不得意なモノと言っても、身につけなければいけない状況もある

役割分担と言っても、拒絶出来ない状況。意識の糸が出ないなんて、言いワケ出来ない状況

その時は、どう身につければいい

もともと意識の糸は、出にくい。せっかく出してきた意識の糸を、断ち切るなんてとんでもない

否定してしまうのって、おそらくは断ち切るコト。それだけは避けなきゃならない

せっかく出て来た意識の糸、大切に育てて、次の意識の糸を呼び込みたい

次から次に意識の糸を出させて、モノとの繋がりを強くしていく

時間はかかるし、面倒だけどいずれ情熱に育っていける

自分で意識の糸をイメージして、少しずつ伸ばしていく

ヒトって、カラダから何も出せないように思うけど、意識の糸はいろんなモノに出してるんじゃないかな

見えないってだけで、意識の糸が何千、何万てドバドバ出てる

そう思うと、好奇心とかも、いろんなモノに意識の糸出している状態のように思う

そうか、ちょっと消極的になってるなと思ったら、いろんなモノに意識の糸を伸ばせばいいのか

決まり切ったモノとだけ繋がるのは、不健康なのかもしれない

ドバドバ意識の糸出しまくっても、尽きるコトはないんだから、出してみるか

選り好みとか、毛嫌いとかしないでね。今まで伸ばさなかったモノに、意識の糸を

いつの間にか、凝り固まってたけど、意識ってもっと自由で良い

興味って、もっといろんなモノにドバドバ伸ばしても良い

誰でも意識の糸は持っている。尽きるコトのない、意識の糸

それって、素晴らしい武器でもあり、自分を成長させてもくれる

自分をシャッフルして、もっと自由に

凝り固まる必要なんて、どこにもないや。遠慮するコト無いんだ

意識の糸伸ばしちゃえばいいんだ。大丈夫、だって誰にも見えないんだからね

自分で自分限定して、臆病になってたな。全開させよう、働いてなかった意識の糸

お!なんか、違う自分に成れそうな気がしてきた。なんか世の中が途端に楽しく感じてきた

閉じてきた可能性が、開いたんだね。よしドバドバ出そう。意識の糸

情熱は、強い結びつき。興味は一つに縛られなくても良いみたいだ。浮気にならない。世の中明るく感じるようになるだけ

ふ〜ん。情熱ってテーマだったけど、主役が意識の糸になっちゃったな。よくあるコトだけど、最初に思ってなかった展開。見えないんだから、意識の糸をドバドバ伸ばせだね!さっそくやってみますか。それじゃ明日なんですが、『気分』というタイトルで、今日の意識の糸の続きを、展開してみます。お楽しみに!

-えすかれーしょん