今日は、トップについてチョッとね!
とまどう
許される
トップは持ち上げられ許される。それで、選択する時に。戸惑う
ポジションが高くなるほど、周囲が自分を持ち上げてくれる
その周囲って、その後トップが戸惑うなんて思ってもない
周囲がトップを持ち上げ、なんでも許し、自分もポジションを引き上げて貰おうとする
彼らにとっては、さぞ立派なトップに映るだろう。だが、立派ではなくなる
最初は立派かもしれない。でもそれはすぐに、崩れていく
なぜなら、許される。持ち上げられる。ぬるま湯の中
そんな状況の中で、トップはどういう考えになるのか
何をしても許される。周囲は自分を持ち上げてくれる。というコトは
というコトは、自分は何をしても良い。自分がやる事はすべて正しいし、自分に敵対するモノは全部間違ってる
自分の判断は、どんな判断でもうまく行く。全ては価値ある自分の為に、動いていく
まるでジョーダンのよう。でも、程度の差があるだけで、現実
その考えの中で、いざ選択の時が来る
選択というのは、いつでも臨戦体制で、物事を見るコトによってのみ出来る
ぬるま湯の中で、出来はしない
当然間違った選択をする。もしくは、どうするべきか分からず、人任せにする
これでうまく行くハズがない。間違った選択。そこから生まれるのは、損害
損害が出ると、それまでの雰囲気は変わってくる。持ち上げ、許していた周囲の不信
トップも損害が出た事実のごまかし。取り繕いにやっきになる
自分がやる事はすべて正しいという、考えが揺らぐのを、否定する
つまり、自分のやる事はすべて正しいに、しがみつく。自分は価値ある存在という考えに、しがみつく
トップは戸惑う。トップなどになるべきではない。トップに溺れた者は、とてもお粗末
これは現実に起きている事。作り話ではない。よくある日常
許されて、持ち上げられる人間に、選択という重大な決断が、出来るワケがない
選択は、全てのコトが分かっていないといけない。よく見て、よく聞いて、全体をイメージする
さらには、行くべき未来の形もイメージして、その上で選択肢をつくり出す。行くべき方向を示す
許されたり、持ち上げられて、浮かれている人間には出来ない
もっと厳しい中で、様々の可能性を模索し続けなければ、できない
ぬるま湯と、厳しい中。まるで環境が違う。求められる能力にふさわしいのは、厳しい環境
現実はといえば、ぬるま湯
トップは戸惑っている。どこの世界でも、起きている現象
トップは道を誤る。それは周囲が持ち上げ、許すから。道を誤らせている
トップとすれば、そんな中では、どっちに行って良いのか分からない。まるで迷子
そんな人間に、委ねている
そんな人間にしてしまっている
もうそろそろ、良いような気がする。もうそろそろ、持ち上げたり許したりというヒドイ環境は、やめて欲しい
そんなぬるま湯にするのは、ご勘弁。トップをダメにさせる、迷子にさせる事をやめて良い時と思う
研ぎ澄まされて、起こるべきコトを想定し尽くして、選択は出来る
トップがそうなるように、持ち上げてはいけない。許してはいけない
何千年も、同じ間違いをくり返している。人間の本質に関わる部分だろう
本質との闘い。自分との闘い。もう、そろそろ良いような気がする。トップに厳しい環境を用意しても
戸惑うは、トップ。求められるコトと、環境に隔たりがあり過ぎる。組織が実務ではなく、馴れ合いの構図になった時、道を誤りだす
そうか、トップの方も戸惑ってるんだな。自分の立ち位置というか、どう振る舞うとか。周囲が求めるままに振る舞ったら、望まない結果になってしまうんだね。それは避けたいけど、周りも持ち上げる。それで浮かれてたら、自分でも望まない方に、どんどん落ちていく。まったくね。そんな失敗を、何千年も。そしてこれからもやるんだね