今日は、世の中に合わせるってコトについて、チョッとね!
まほう
理解
理解されないコトは、魔法でイイのかもしれない
どんなに説明しても、理解して貰えない。しょうがない。それぞれの特性は違う
特性が違うって、興味も違うってコト
興味ないコトを説明されても、受け入れられない。分かって貰えるなど、ほど遠い
であるなら、分からないままでイイと思う。そのままで、魔法という位置づけにする
分からないというコトの尊重。それが魔法という、非科学的な位置づけという落とし所
世の中には、どんなに説明されても理解出来ないコトは多い
それは、とりあえず魔法でイイ。説明はし続けるけれど、あとは相手に任せる
世の中はいろんな方向で発達してる。全てのコトが理解など出来ない
いろんな魔法がある。それによって、豊かな生活が可能になっている
自分がどの魔法を使えるか。全ての魔法を使える必要もない
たとえ、全ての魔法が使えたとしても、それを活かせはしない
カラダはひとつ。有限のカラダで、同時に出来るコトは限られている
持っている魔法の数で、価値は決まらない
ひとつも持ってなくても、価値が無いワケじゃない
魔法と言える段階でなくても、役に立つ能力は山ほど
魔法という表現は、見下して諦めるのではなく、分からないコトへの尊重
ヒトの特性を知った上で、それに適応させたやり方
魔法としてしまえば、その能力自体がないがしろにされるコトもない
能力を、隠さなくても済む。効果のある能力。効果があるというコトを示す為に、魔法
どちらの方向性も尊重して、その着地点が魔法
実際どうかはどうでもいい。より、据わりがいい表現
より、誰も傷つけない表現。居場所が出来れば、ラク。苦しまなくて済む
魔法は、尊重。出来る側と出来ない側、双方の居心地に配慮。隔離は必要無いが、尊重を伴う棲み分けは要るよね
魔法か。たしかに、凄い能力のヒトを見たら、魔法でイイのかもしれない。その方が楽しめるし。他のヒトが自分の興味あるコトをまるで分からなくても、しょうがないよね。自分に魔法があるってコトで。考えれば子供の頃は、見るモノ全て魔法だったね。結局、魔法って、自分の能力と相対的なモノなのかもね