今日は、誰がやるかについてチョッとね!
うめる
自分で
足りないところは、自分で埋める。もしくは他のヒトが埋める
足りない所がある。それを埋めるというのは、ラク。そのカタチにしてしまえばラク
何かをする時、どうすればいいのか、迷う
迷うというのは、何をするべきかが分かっていない時
その迷いが大きければ、やる前に諦めてしまう
これは避けたい
さて、やる前に諦めてしまうコトを避ける為には、どうすればいいのだろう
そこで、埋めるというやり方が出てくる
埋めるやり方というのは、まず理想形を作る。答えから作る
答えを作るのだけれど、その答えと現実との間は、大きく開いている
それを、自分で埋める。もしくはヒトに埋めて貰う
これであれば、迷いはない。やるべきコトは分かっている。大変だが、埋めるという作業のみ
埋められれば、答えに辿りつく。何もやらないうちに、諦めてしまうというコトはない
あとは、自分で埋めるだけ。ただ、差は大きい。あまりの差の大きさに、諦めてしまうコトは多い
ただ、それは自分の責任。埋めるという作業をしないのは、自分の選択
自分の選択なので、自分の責任。ヒトの所為にするコトはなくなる
やる前から諦めるので一番いけないのが、誰かの所為にするコト
誰かの所為にして、それを処理してしまう。しかもそれが溜まっていく
さらには、誰かの所為にしているのに、自分はダメだと思い始める
そのフラストレーションは、質が悪い。悪質に転じるコトはあっても、良い方向には進まない
そういう意味でも、埋めるやり方をする
埋めるという単純な作業。やるコトは見えている。自分がやるかどうか
全ては自分の責任。ヒトの所為にしてその場をおさめるというのは、不健康
自分の責任にした方が、健全。健康的
自分がやれば、もしくはヒトと協力してやれば出来る。それを自分がやり始めるかどうか
自分がやる選択をした。やらない選択をした。それだけの話
自分の能力にも関係ないので、自分を責める必要もないし、世の中の所為にするコトもない
埋めるという作業が、あまりに膨大で、やらないという選択をしても
引っかかりがあるなら、いずれやるかもしれない。気にかけてさえいれば
気にかけてさえいれば、何かを見た時、ヒントを得られる。つまり材料を集めは続けられる
その時は、やらない選択をしても、いつかはやる選択をする時が来るかもしれない
埋めるという単純な作業。迷いを取るコトで、自分次第に
自分が求めるモノが、自分次第になる。これはとても健康的だろう
ヒトの所為にして、何もしないのは、歪んでいる。自分が歪んでしまう
自分が歪まない為に、埋めるという作業にする。理想形を作って、現実との間を自分で埋める
どれだけのモノを求めても良い。それが大きい分、自分がそれを埋める。全て自分にかかってくる
埋めるは、自分。全てが埋まった時、その答えに辿りつく。動くしかない。動いた分だけ、近づける
全部自分にかかっているか。そうだよね。自分がどんな理想を持つのも自由。ただ、それを埋めるのは自分。自分だけの問題であって、ヒトの所為にするのは遠回りで余計なコト。自分で埋めるんだから、厳しいよね。でも最短距離。自分で求めたモノなら、自分で埋めるしかない。その時は出来なくても、いずれ。ネ!