えすかれーしょん

せぴあ

今日は、魅力を感じる背景について、チョッとね!

せぴあ

褪せる

写真が色褪せて、セピアに変わる。それを魅力的に感じる

セピヤや、白黒写真に、独特の魅力を感じるのは、どうしてだろう

より発色が良く、鮮明なカラーの写真。白黒写真は古くさい

当然カラーの方が、良いような気がする。もちろんそれは間違っていない

でも、セピアや白黒も、カラーを越える魅力がある。それはどこだろう

カラーはそのまま。そのままを切り取る。白黒やセピアは、現実世界とは違う

現実とは違って、相当要素が少なくなってしまっている

見た目にも、薄暗い印象や、何か足りないなと思わせる

でも、そこが良い。逆に重みや、心情的な世界の広がりを感じさせる

まるで魂との会話というか、異世界へ繋がるトビラのような印象

はて?異世界へ繋がる印象ってのは、どこからくるのか

この感覚は、現実世界とは、越える感覚。その印象

それはどこからだろう。カラー写真よりも、要素が少ないハズなのに。なぜそう思わせる

セピアや白黒写真は、古いモノ。カラー写真は新しい

世に出てからの、かかっている時間が違う。そこに答えがあるような気がする

白黒やセピアは、時間が後ろにある。その時間は異世界へのトビラであり、重みにもなる

カラー写真は現実で、しかも経た時間が浅いので、どうしても軽い

そうか、映っていなくても、その写真の中に時間という重さを感じているのか

時間というのは、その間の出来事も内包する。その時代とともに、存在してきた

その場にはいなくても、同じ時間に存在。変化していく世の中で、変化せずに以前の姿を記している

古くさくて、昔っぽい。その変化の前の状態が、逆にどれだけ変化してきたかも、示している

そこがいい。まるで、時間旅行。写真に映っていない部分が、頭の中でグルグル巡っていく

そんなコトは、カラー写真にはない。セピアや白黒特有のモノ。それが魅力

それ以上のモノを、頭の中で巡らせる。そんな魅力が、セピアや白黒にはあるってコト

写真は、映ったそのままを楽しんでいるワケじゃない

その写真から、いろいろ想像を巡らせる。そんな楽しみ方をしている

情報が少ないほど、または現在とは違うほど、それを補完して自由に遊び回れる

写真は入り口。その入り口で止まってしまうのは、とてもつまらない

そうか、絵画などでも、そこからいろいろと想像を巡らせるコトが出来るモノは、凄いと思う

ダリや、奈良 美智。彼らの絵は、見た後想像を巡らせられる

写真も絵画も入り口か。そこからどう、そのヒトが想像を巡らせられるかっていうのも、重要な要素

そのまま、そこで止まってしまうモノに、深みはない。深みは、自由に想像出来るところにある

見えない世界へのトビラ。その入り口。そのままは浅いワケだ

セピアは、時間。足りないモノ、現在とは違うモノによって、補完したくなる。それが深さ。感じて、想わせる深さになる

いろいろと、考えさせられる。そんな作品は確かに奥深いね。見るヒトを巻き込んでいくのか。作品に、それだけの引力があるんだね。その作品だけでは、完成していないってコト。見るヒトが、それぞれ頭の中で巡らせて、作品は完成する。それって凄い世界だね

-えすかれーしょん