今日は、気持ちの持ち方について、チョッとね
ふこうずき
どんなに
どんなに恵まれていても、自分を不幸だと思いたい。不幸好きという、感覚がある
とても恵まれている。いわゆる何不自由ない状態
で、あったとしても、それに気づかない
その時は、それに気づかず、それを当然のコトとして捉えてしまう
基本的に、日常となってしまうと全てが当然になる
この当然という感覚は、おそらく不幸好きというのとも、大きく関係している
日常を当然。貧しいかろうが、豊かであろうが当然
それはある意味、適用能力かもしれない。適用するので、どんな状態でも当然となる
当然なので、その段階で幸せや不幸は決まってこない
その当然の中で、何かによって不幸という感覚に陥っていく
それはなんだろうか
ナニかが不足しているなら、誰かと比べて足りないと嘆く。足りないモノで不幸に
全てのモノが揃っても、自由がなければ、それで嘆く。不自由も不幸になりうる
全てのモノが揃い、自由である場合。それでもナニかが満たされない。愛されていないと感じる
モノが不足なく揃い、自由である為、ヒトの繋がりが必要無く、うわべだけで足りてしまう
もし愛し合っていたとしても、それはうわべだけ。本当の愛だと感じない
それで自分は不幸と思う
結局どんな状態にあっても、不幸だと思うように出来ている
自分は不幸でいたい。不幸の側にいたい
それはワガママだろうか。必ずしもそうは思えない。みんなそうしているから
結局、不幸というのは、足りないコト。足りないモノを、補充したい欲求。それが備わっている
不幸というのは、その働きによるモノ。生きている時は、補充したい
足りないモノを探して、補充するコトが生きる意味
本当に、全てを手に入れても、ヒトはそんなコトを求めていない
ヒトが生きている以上、探し続ける
探し続けるというのが生きるコトだから。本当に満たされても、そんなモノは求めてない
不幸好きって、ヒトの癖。生きている証拠。自分だけが不幸なんてあり得ない
不幸なんて、自分の中から湧いてくる感情。絶対に誰でも不幸と思っている
生きている限り、みんな不幸という感情は湧いてくるモノ
自分だけが不幸と思うコトも、他人と比べて嘆くコトも、マヌケな行為
ヒトは不足がある方が、強く結びつける。本当の愛だと、思える
モノがあり、自由でもある満たされた状態だと、ヒトと結びつく必要がない
さらには、苦労もしていないので実感も感じない。全てが軽く、薄っぺらになる
苦労をして、実感を得られる。不足して補い合える。モノが無くて、努力出来る
不幸というのは、考え方。同じ状態でも、考え方を変えれば幸せにもなる
生きている限り、不幸と感じるように出来てる。不足と感じる機能があるから、生きていける
そう考えると、不幸と思うのは当然だし、それに左右されるのはマヌケだとも思う
ま。不幸は状態ではなく、考え方だから、上手に付き合っていければ良いってコトだね
自分が不幸と思って、相手も不幸にしてやろうなんて、一番マヌケ
基本は自分も不幸、相手も不幸。同じ状態でも、考え方で自分も幸せ、相手も幸せが可能
その時のその不足を、どうやって補っていくか、それが生きるってコトだと思う
不幸好きは、機能。誰にでも備わっている、仕組み。不幸に振り回されるのはマヌケ。不足は生きる、エネルギー
なるほど。不足を感じて生きているワケか。不足を補うために、活動したり、協力したり。それがヒトらしく生きる重要な要素。幸せ自体も、ヒトに対して思うのはマヌケだね。意味がない。本来、自分の生き方に関係するだけだから。ヒトってマヌケだ。まやかしの不幸や幸せに、振り回されてるんだから。私も気をつけよっと