今日は、子供から大人に至るまで、引きずっていくコトについてチョッとね
いる・いらない
自分
自分が、いるのか、いらないのか
子供の頃は、自分が親にとって、いるのかいらないのか。それを気にする場合がある
親は当然自分を必要としている。そう思いたい
でも、ふと自分は必要無いんじゃないかとの、想いがめぐる
もちろん親の方は、子供はなくてはならない存在。要らないというコトは、ない
それでも、子供は自分はいらないんではないかと。そう思うコトがある
それは、大人になっても
大人でも、実はそれを引きずっていく。自分はいらないんではないかと
いらないと思った途端に、糸の切れた凧になる
糸の切れた凧は、何かに役に立たないと存在出来ない
誰かに必要とされないと、何の為に存在しているか、意味が見いだせなくなる
うまくいけばいい
でも、そう、うまくはいってくれない。その時は、自分はいらないんだと、本気で思いだす
子供時代からの感情。それは大人になっても引きずっていく
挫折するたびに、いらないのではないか。そう自分の存在を否定してしまう
何かの役に立ちたいという気持ち。それはとても意識が高いが、同時に打たれ弱い
自分がいらないと思っているから。途端に、自己否定に転じてしまう
存在の糸が繋がって、生きてられる。誰かに必要とされて、生きている意味がある
生きている意味が無くなると、とても危険な状態
とても不安定で、自己を否定する行動をとってしまう。それは反社会的な行動
社会として、認められない行動。糸が切れた凧は、そんな行動をとってしまう
一本でも糸が繋がっていれば、そんな行動はとらない。存在を肯定してくれるヒトがいれば
でも実際は、糸が切れた凧。その状態の人は多い。潜在的に存在してる
うまくいっていればいい。うまく行かなくなった途端、問題行動として表面化する
内在していたモノが、表に吹き出してくる
ヒトはヒトから必要とされていないと、おかしくなる
問題行動を平気でとれるようになる。いらない人間をつくってはいけない
冗談では済まないコトが起きる。その危険性は、いつでもはらんでいる
気にかけて、見守る。それだけでも、違ってくる
いらないと思っていた人間も、混乱してくる。なぜ自分の為に
なぜ。が出て来たら、改善の方向。時間はかかるが、いずれ糸が繋がっていく
繋がった糸は裏切れない。問題行動は、起こせなくなる
現代は、ヒトも数字で振り分けられる。ヒトがモノ化している
モノ化したヒトは、うまく行かなくなった時、居場所が無くなる
居場所が無くなっても、糸が繋がっていけば、生きていける。問題行動もとらなくて済む
生きていれば、再チャレンジも出来る。そう、みんなうまく行くモノでもない
うまく行かない中で、何度も再チャレンジしてイイ。何度でも立ち直っていける
一度や二度の挫折は当然。そこで早まらないように、糸を繫いでおく
その糸が、張り巡らされている状態が、一番強い。見守って、早まる行動を防ごう
いる・いらないは糸。必要にされているかどうか。それは社会の意味。存在する意味。意味があるから、何度でも立ち上がれる
意味ね。大切だよね。他のヒトに必要とされてるって。他のヒトを必要とするのも大切。ヒトはモノじゃないからね。モノ化してしまう現代は、ちっと行き過ぎだから変えないと。ヒトを数字で分けるなんて、禁止した方がイイ。あんまり良い事無いよ。数字で分けるコトやめたら、自殺者も減ると思う。ひょっとすると、数字に殺されているんじゃないかな