今日は、ヒトがしてしまう行動について、チョッとね
きやすめ
型にはめる
型にはめて、思考停止という状態をよくやる。それって気休め
相手を型にはめる。すると、ラクになる
型にはめるコトで、相手の居場所が自分の中で出来る。つまり収まり所
自分の中で収まりが良くなる。それで型にはめるコトを、すぐやる
収まりが良くなって、対応も決まる。今まで自分がしてきたそのままの方向で、対応出来る
とてもラク
自分とは考えが違う場合は、単純に理解しがたい
何を言っているのか、分からないコトも多い
自分の考えとは違うので、その考え方に不慣れ。その時にどうするのか
だいたいの場合、得体の知れない考えなどは、低いモノとして処理してしまう
自分より、優れた考えとしてしまうと、途端に恐くなる
自分とは違う、得体の知れない考えの方が優れている
というコトは、自分の方が劣っているコトになるし、間違っているコトになる
間違っていると、劣っているという両方の現実には、向き合えない
そこで、相手を低く見て、収める。それは気休め
相手を蔑み、自分を慰めている
自分と違う考えというだけで、警戒する。更に自分より優れているとなれば、自分の居場所が無くなる
それが恐くて、相手を劣っているポジションにして、収まりを付ける
ネットなどで自分と違う考えの者を、劣った存在としてやり取りし合うのもまさにソレ
自分が劣っている側にまわりたくない
自分が間違っている側にまわりたくない
それでは、あまりにもみじめで、みっともない。だから相手を劣っているとする
ただ、それは気休め。真実とは言えない
自分の収まりを付ける為だけに、相手を蔑み続ける
自分のポジションを守る為には、他人を犠牲にして、真実もねじ曲げてしまうというコト
みんなやってしまうコトだから、それを悪いとは言えない。それを取り除くコトも出来無い
ま。そういうモノだとして、その上でどうするか。という判断になる
よくやってしまうコトだから、どうするか。ケンカするのか、冷静に受け入れるか
気休めは、保身。自分のポジションを優れた所に固定してる。なので、相手を劣っているとするしかない。そのやり合いはしょうもないけど、これからも続く
自分は優れた所に固定したいよね。でも、相手の方が正しく、優れている場合もある。にも関わらず相手を劣っているとするのは、真実を歪めてる。自分が間違っていると分かっても、それまでの流れを変えられず続けたなら、間違いを重ねるコトになる。それは恥ずかしいし、避けたいね。してしまうコトだから、気をつけたい事