今日は、問題解決法について、チョッとね
べんきょうしんわ
万能
勉強が、万能だと思っているヒトがいる。何でも解決してくれると。まるで勉強神話
勉強というのは学ぶコト
学びにはいろいろとある。ただ勉強となると、限定される
少なくとも、何か問題を解決する手段としては、ふさわしくない
いや、答えがすでに出ているモノなら、お勉強でも構わない
そのまんまマネをして、解決。とてもスピーディー
ただ、まだ答えが出ていない、未知の領域ではまるで役に立たない
お勉強の限界
既存のモノに対しては、とても有効。でも、未知の問題に対しては、役に立たない
では、問題を解決すのはどうすればいいのか
これは簡単で、まず問題を分析
原因を特定する。ひとつの問題で、複数の原因が含まれているコトもある
全部出して、そのあと解決法を出して、実際試していく
良い結果が出れば解決。うまくいかないのなら、途中のどこかが違っているので、やり直し
解決するまでやっていく。これが解決法
お勉強とはまるで違う。まずは分析
お勉強という、どっかに探しに行くようなコトはしない。問題の中に飛び込んでいく
分析をするのは、原因を見つけ出す為。原因が見つかれば、解決に繋がる
お勉強には、原因を見つけ出すという行為はない。あくまで誰かのチカラ、自力じゃない
原因を見つける行為は、自力。100%自力
そのあと、解決法を出す。この、解決法というのも、自力。頼れる者はいない
試行錯誤するしかない。見つかるまで、解決法を試す
とても泥臭い作業。そして100%自力
お勉強も自力の部分はあるけど、向いている方向が違う
誰かが作ったモノや、見つけたモノに頼るカタチ
なので、お勉強では未知の問題は解決出来ない
困るのは、お勉強が絶対だと思っているヒト
お勉強が絶対で、万能。全てを解決してくれると思い込んで疑わない
確かに既存のモノには対応出来るし、早いのだけども。未知のモノには対応出来ない
勉強には、限界がある。それなのに、それ以上と解釈して、宗教のようになっている
まるで、神話。お勉強神話という、揺るがない絶対神を拝むようなモノ
その宗教に入ったヒトしか、ポジションに付けない世の中なのかもしれない
ただ、お勉強神話で曇った目では、答えまで辿り着けない
そちらの方向に行ってしまうと、永久に解決出来ない
解決出来ないとなると、どうするのか。官僚などは、誤魔化してうやむやにする
結局そういうコト。お勉強神話の宗教では、最終的にうやむやにするしかない。それが末路
役に立つ道具として、お勉強はあっても良いが、それに溺れてはいけない
あくまで既存の領域。それ以上にはなれない。それ以上求めても、得られない
的確に、道具として使っていく。目的にあった使い方を
領域を知って、それ以上求めない。それが、溺れない道。的確に捉えている状態と言える
勉強神話は、盲信。信じ切っても、解決はない。冷静に切り離す。領域を知る。万能だと思うのは、いき過ぎ
困るんだね。勉強でなんとかなるって思ってるヒトは。信じて疑わないから、それ以上話ができない。だって向かっている方向が、答えとは別の方向だから。噛み合うワケ無い。お勉強も重要なんだけど、限界がある。それだけ知って欲しいね。領域の外にあるモノなら、出来るヒトに任せても良いんじゃないかな