えすかれーしょん

せおう

今日は、運命的なモノを、チョッとね

せおう

一生

一生、背負わなければならないモノ

一生背負わなければならないモノって、自分で選んでいるように思えてならない

自分でそれを背負ってる。決して、自分からそうなってはいない

境遇としてそうなってしまう。ただ、一生背負うモノなら自分で選んでいるようにも、思えてくる

どんなに酷いコトでも、どんなに嫌なコトでも、それを背負って生きる

周りからの責めと、自分で自分を責めるのと

それを甘んじて受ける。最初は逃れようと、他人を責めたり、ウソで誤魔化そうとしたり

それでも一生背負うモノ。逃れられはしない

途中から、それと共に生きる

そこから、世界は変わり出す。今まで見てきた作られた世界ではなく、いろいろある世界

決してキレイではないけど、そんなに悪くもない

うわべじゃなく、本質的

破綻はしてる。破綻したままで生きていく。そのままで

自分を責めるコトは一生続く。たまにはラクをしたくなるし、逃げたくもなる

何度かそれを繰り返し、受け入れていく

自分の中での破綻が、許しに導いてくれる

まず、自分を許す。破綻しているみっともない自分を、時間をかけて許す

そこから、ヒトに対しても許せるようになる。それまでなら責めていたようなコト

責めずに、必要なコトだけを求める。許しと、実質的なモノだけ求める

ただの否定や、ただの許しではない

必要な所は求め、それ以外は許す

自分の中の、責められるモノがそうさせる。自分に刺さる痛みが、そうさせている

相手の全てを、許すワケでもない。全てを許すというのは、相手を見ていない。考えていない

相手のコトも考え、許しと、求めの両方

経験を積んだヒトほど、両方を相手に投げる。どちらかではなく両方

全否定でも全肯定でもなく、肯定と否定の両方

もしもそうなら、見てくれている。あなたのコトを、シッカリと見て言葉を投げてくれている

一生背負うモノによって、他人との接し方も変わる

受け入れて、その上でどうするか、考えられるようになっている

自分の中の破綻。破綻したままで、それもアリと。その破綻が導いてくれる

他人の痛みを感じる自分。その痛みを和らげられる自分に

それは経験しないと、得られない。自分が背負わないと得られない境地

一生背負うモノは、刻み込み。その痛みに耐え続けてしか、その境地に立てない

許しと求めの両方。相手を見て、的確に投げかける、サポートする側

思い起こせば、確かに沢山のヒトがサポートしてくれていた

取るに足らない存在と思っていたけど、彼らはみんな私のコトを見てくれていた

私のコトを考えて、サポートしてくれていた。それに気づかずにいた、マヌケな私

サポートしてくれたヒトも、一生背負うモノを持っている。先輩達

沢山の先輩達に見守られて、ずっと生きてこられていた。ありがたいとしか、言いようがない

自分もサポートする側に回っていく。本質と許しの両方が分かる段階。その境地へ

背負うは、入り口。ヒトとして、成長する為に必要な負荷。自分の中の痛みが、自分もヒトも導いてくれる

なるほど、単に幸せとか不幸ってのは、間違いだね。自分が幸せかを考えている内は、まだヒヨっこ。相手を幸せに導いて、自分も幸せになる。その為の境地。浅い段階から、深い段階があるってコトなんだろうね。人間の成長過程って、気づかないけど沢山の段階がある。もしかすると、まだあるね。楽しみ?かな

-えすかれーしょん